ひまり

 立川ひまりは二十代。

 成浜市有田区丸ヶ峰に住んでいる。

 町ぐるみの集団ストーカー被害に苦しんでいた。

 精神科に行かないように必死で抵抗したが、ある時、記憶が飛んで成浜市大病院で目が覚めた。





 その後、精神科有田の丘病院に転院。ナースに入院の理由を尋ねると、自分が錯乱して五階から飛び降りたと説明された。

 ひまりは病院と家族側から統合失調を認めるよう自白を強要され、退院した後は社会から孤立した。





 集団ストーカー被害は続いた。主な攻撃は隣人による就寝時の頭部へのテクノロジーハラスメントだった。




 彼女はエレクトリックスタンガンについてはよく知らなかったが、遠くの人間に物理的に触れないで気絶させる兵器の存在をインターネットで知った。




 彼女への攻撃について、他の例えをするなら改造AEDだ。

 一回の電気ショックで人を覚醒させる人命救助機械がある。

 ひまりが受けている攻撃は、そのショックを人が気絶しない程度に緩め、頭蓋の外ではなく内部に等間隔で攻撃することで一晩中覚醒させるものだった。





 ひまりは身の危険を感じた。

 この攻撃では死なない。

 脳内に血の塊ができて、いつか破裂して半身不随の人生を送ることになる。

 彼女は周囲にSOSを出した。




 「脳を攻撃されるんです」

 「立川さん、安静に。先生に落ち着く薬を出してもらいましょう」





 ひまりは助けてと絶叫することは出来なかった。

 やれば精神科の保護室にぶち込まれる。

 以前の入院時と同じように、パニック、恐怖は気のせいでしたと自白するまで自由を奪われることになる。





 彼女は一年後倒れ、予想通り脳の血管が破裂したことを知らされた。

 片足の自由が利かなくなり、一生引きずって歩くことになる。彼女は医者に主張した。




 「不運で身体障害になったのではありません。脳に攻撃を受けたのです」

 脳外科医は落ち着いていて優しそうだった。

 「精神科のお医者様は何とおっしゃっていますか?」

 ひまりは悔しくて歯噛みした。

 この時からブログを始め、被害告発記事を書いた。





 ブルーフェニックスコンピュータ―ルームでパソコンの一機がポーンと鳴った。

 女性隊員が隊長に告げる。

 「SOSエンジンに新規通知です」

 「場所はどこだ」

 「成浜市有田区」

 「全員配置につけ」




 ひまりはある秋の朝、丸ヶ峰駅商店ビル、ポコロット近くを歩いていた。

 誰でも流行を追いかけているわけではないが、簡単に手に入る服がどうしても流行カラーになる。




 今年は明るいオレンジを、ボルドーやモスグリーンでシックにまとめるスタイルが主流のようだ。

 しかし流行はその年その年で極めないと、ただの余った量産品を着ているおばさんになる。

 ひまりはおしゃれなんかしてる余裕はなかった。




 丸ヶ峰の駅ビル、ポコロットはちょっと珍しく、一階は駅とは別の建物で、二階は駅改札と連結している構造になっている。

 下からは見えにくいが、三階から五階は二つの塔に別れ、片方は駐車場に使われ、片方は病院や地域センターが入っている。




 ひまりはそこまで知っていたが、ポコロットの上には二十階以上のビルがそびえ立っている。

 法人に使われているのか富裕層のマンションとして使われているのか、よくわからなかった。

 この日はビルの最上階近辺にゴンドラが吊り下げられ、窓ふきをやっているように見えた。




 ポコロットの周りでハトの群れが弧を描いて飛んでいる。

 彼らが丸ヶ峰バスターミナルで繁殖していることから、誰か餌付けをしている人がいることがわかる。

 それは迷惑行為で町の問題にもなっているのだが、そんなことはつゆ知らないハト達は風を切って気持ちよさそうで、ひまりはうらやましかった。




 ポコロットの近くには保育園があるらしく、ひまりは今日も保育士が園児を散歩に連れ出しているのを見かけた。

 ベビーカーというか、児童運搬車は驚異の四人から五人乗りで、保育園の特注らしい。




 ポコロットから丸ヶ峰バスターミナルは彼らの散歩コース。

 園児たちはこれから会いに行くヒーロー、バスの運転手さんに夢中なのだろう。




 ひまりはポコロットのATM、成浜銀行から出た。

 園児の散歩は行ってしまったらしい。

 ひまりが踏切を目指してクリーニングの屋の前を歩きだした時だ。

 「逃げて」




 ひまりはびっくりして立ち止まってしまう。

 言ったのは近くのタクシー乗り場から牛丼チェーン店前まで歩いて来ていた見知らぬ美魔女だった。

 途端にすさまじい轟音と地鳴りがして、何かが太陽の光を遮った。

 ひまりはポコロットの二階の上、屋上からゴンドラがバウンドして降ってくるのを見た。




 女性は牛丼チェーン店前から駅と駅ビル連結部の下、複数あるポコロット入り口前に滑り込むようにひまりにタックルしてきた。

 女性の背後でけたたましい音を立ててゴンドラが崩壊した。




 ひまりは正気に返ってゴンドラを見た。

 不幸中の幸い、落下した時は無人だったようだが、無残な姿だった。

 自分はもっと惨めだった。

 ひまりはかばってくれた女性の下でうずくまって泣いた。




 「死ねばよかった。死ねばよかった」

 「そんなこと言わないで」

 女性はひまりを抱きしめた。




 「こんな足引きずって生きていきたくない」

 「元気を出して。生きていれば必ずいいことがあります」

 



 ひまりはその後、二十分間女性と一緒にいた。

 「怪我はない? 立てる?」

 「はい」

 



 通行人はいるのに振り返る者はいない。

 女性は携帯でどこかに通報したようだが誰も来ない。

 責任者も出てこない。




 「あらあら、変わった町ね。でも私は泣き寝入りしませんよ」

 女性はスマホを撮影モードにすると、証拠写真を撮り始めた。

 途端に周囲の通行人が逃げ出し始めた。

 女性はひまりに微笑んだ。

 「SNS拡散しておきます。お嬢さんは安心してね」




 ――加害者じゃない。

 ひまりはそんな気がした。

 集団ストーカーは親切なふりはするが、自分と仲間の写真は残さない。

 しかしひまりは助けを求めることに躊躇してしまった。

 味方なんていたためしはなかったからだ。




 女性はひまりの無事を確認すると笑顔で背中を向けた。

 「待って、落とし物」

 



 ひまりは言ったが、女性は気付かないで去って行ってしまった。

 ひまりは落とし物を拾った。

 白いハンカチだった。

 隅に筆記体の刺繍がある。

 



 ――Ryouko K――





 「リョウコさん」

 ブランドのハンカチだったら有名作家の名前かもしれない。

 しかしひまりは女性を他にどう呼んでいいかわからなかったので、出会った彼女をリョウコさんと呼ぶことにした。


踏切のヒーロー

 集団ストーカーの攻撃に通行妨害がある。

 ひまりが道でつかえて『通してください』と言うと、逆に周囲の人間がひまりを病原菌のように見て道をふさぎ、彼女が歩けなくなるとプッとせせら笑うというもの。




 ひまりはある昼下がり、買い物に出かけた。

 ポコロットから区役所に続く道の踏切を渡ろうとすると、若いママ友集団の通行妨害に遭った。

 彼女達は幼児返ったおしゃべりを展開しながら、ひまりの前を気が遠くなるほど遅く進む。




 彼女達は踏切を渡れるかもしれないが、無視され、つかえてしまったひまりはいつまでも踏切の中で命の危険をさらすことになった。

 ひまりは人災で動けなくなったあと、気が付くと利き足の浅いヒールをレールにとられ、抜くことができなくなっていることに気が付いた。





 警告音とともに遮断機が下り始める。

 ひまりは誰か助けて、とは言わなかった。

 集団ストーカー被害者は、自分のSOSが笑いものになることも黙殺されることも知っている。丸ヶ峰中の住人が彼女の死を望んでいるのだ。




 遮断機が完全に降りた。

 見ている人間も車もあるのに、彼らはひまりがいないものとして、普通の生活を送っている。

 ひまりは各駅以上の列車が迫ってくる音を聞いた。目の前が真っ暗になり自分の死を感じた。




 その時、ポコロット側から、踏切の中に誰かが飛び込んできた。

 彼はひまりの胴を抱えると、間一髪、区役所側の遮断機の外に滑り込む。

 ひまり達の背後で、直前にいた場所をネイビーの鋼鉄線新型車両が豪速で通過した。




 「誰」

 「よかった。怪我はありませんか」

 「はいーーありがとうございます」




 彼女の救世主は細身長身、小悪魔的な容姿のまぶしい青年だった。

 彼の後ろに広がる秋空と羊雲はまるで彼を彼女のところに連れてきた使者のようである。

 ゴンドラの時といい、今回といい、話が出来すぎているが、集団ストーカーは被害者をだます芝居のために命まで張るだろうか。

 彼は彼女に訊ねた。




 「おうちの方は」

 「いません。天涯孤独です」

 ひまりは嘘をついた。彼女は両親を亡くし、保護者になっている兄は支配的な男で、彼女に復讐することばかり考えていたからだ。

 「仕方ないですね。僕は岬のぼる。あなたは?」

 「立川ひまり」




 「立川さん、とにかく靴を何とかしないと」

 「え?」

 ひまりは彼の示した方向を見た。

 彼女の片足の靴が踏切の中で無残な姿をさらしていた。




 「安心してください。近くに100均テリアとスーパー西光が合体した建物がある。僕、どちらかでサンダルを用意できます。あなたはミズ・ドーナツの中で待っててください。はい」

 「はい?」

 岬はしょっていたリュックをお腹に回して、彼女の前に背中を向けてしゃがんだ。




 「裸足で歩かせるわけにはいきませんから」

 ひまりは少女漫画みたいな展開に顔から火が出そうになった。

 しかし、足を引きずってる上に裸足では、彼女の遠慮したい気持ちより彼の判断の方が現実的だった。

 彼女はおっかなびっくり彼の言葉に甘えた。

 二人でドーナッツ屋に入り、代金を支払った岬が店員にひまりの事を頼んで一時外出する。




 ひまりはその後、ミズ・ドーナツの中で、岬の買って来たサンダルに足を通して礼を言っていた。




 ドーナツ屋は色とりどりのハロウィンモード真っ盛りで、商品の一つに名前を付けず募集をかける企画をやっている。

 岬は彼女と向かい合って座り、訊ねた。

「今、痛いところはありませんか」

 「はい。もう大丈夫です」




 岬は流行色を無視して濃い目の青紫のラインが少しだけ入った、明るい淡紫――ヘリオトロープのシャツを着こなしていた。

 純白のズボン、朱色のスニーカー。




 ヘリオトロープは流行に鈍感なのではない。

 この秋主役のオレンジの、優しい対照色だ。

 この手の荒技ができるのは、かなりのファッション目利きと言える。

 彼女は暇がないだけで絵心があるため、彼と自分の恰好が釣り合わないことに少し肩身が狭かった。





 彼女は彼を信じようとしていた。

 集団ストーカー被害者が被害を避けようとしたら、誰とも接点を取れなくなる。

 どこかで妥協するしかないのだ。

 被害は起ったら考えればいい。




 二人でドーナツを楽しんだ後、彼は急に、しどろもどろに切り出した。

 「あのう、岬のぼるって名前、どこかで知りませんか?」

 「いいえ? 以前、お会いしましたか?」




 彼女が首をかしげると彼は「やっぱり」と肩を落とした。

 「僕、駆け出しのジュエリー作家なんです。活動し始めてもうだいぶ経つのですが全然売れなくて」

 「そうだったんですか」




 「何かのご縁です。もしよろしかったら、僕の作品、つけてくれませんか。宣伝になるからお金はいただきません」

 



 彼女はうれしい申し出と思ったが、躊躇してしまった。

 「でも私は足を引きずっているしーーあまり華美なものをつけて目立ちたくないのです」

 彼は彼女が悪い気がしていないのを感じとったらしく、チャンスに意気込んだ。

 



 「じゃあ、就寝時につける開運アクセサリーは?」

 「就寝時? いつ宣伝したらいいの」

 「開運したら!」

 「はあ」

 「絶対開運します!」

 


 

 彼がこぶしを握って力説する。

 彼は自分のリュックからいそいそとボックスを取り出し、彼女の前で開いた。

 中身の半分はきらめくジュエリーだったが、半分は和柄布とレースの造花アートだった。





 「金属アレルギーの人のために考えたんです。風水も少し勉強しました。金属部は特別製で樹脂も使っているので怪我はしません」

 「すごい才能」




 彼女は作品の美しさに息をのんだ。

 彼は褒められて嬉しそうに笑った。

 作品を語る彼はジュエリーよりもキラキラしていた。




 「耳飾りおすすめです。ピアスの穴をあけますか? 嫌だったらイヤリングもありますよ。就寝時にとれない細工をしてあります」

 「ではイヤリングを。ありがとう。岬さん」

 二人はミズ・ドーナツを出て気持ち良く別れた。





 沢渡のぞみは二十代後半。

 丸ヶ峰バスターミナル出口に直結しているイレブンナインの前で待っていた。

 同じ友の会、若手の岬のぼると落ち合う。

 彼女は彼に訊ねた。




「あれは渡した?」

「ええ、ちょろいもんです」




 彼女は満足して笑った。

 「岬は見た目がいいからあんな細いだけの女はイチコロね。でも殺せばよかったのに。踏切で命まで張ることないでしょ」

 「僕の趣味ですね。実験体がもったいないじゃないですか。ああいうのはじわじわいじめるのが楽しいんですよ」




 沢渡は岬の残忍でセクシーな笑い方が好きだった。

 岬がひまりに渡したのは、ジュエリー、アクセサリー職人の沢渡が作った使い捨て盗聴盗撮機だった。

 沢渡は岬に甘えたくなった。




 「聞いて岬。鎌田さんのセクハラ、本当に嫌んなっちゃうの」

 「僕がついてますよ」



 二人は見つめあって雰囲気を楽しんだ後、真昼の路上で甘く深いキスを交わした。

 沢渡はは両手にビニール手袋をしている。このままで仕事はできるが、極度の汚物恐怖症である。




 手袋のせいで周辺の人は常に振り返るし、店に入れば指紋を残さない万引き犯と間違えられることもある。

 しかし沢渡は見るなら見ろと思った。

 彼女には自慢のくびれたウエストがある。




友の会

 浅野美晴は二十代。

 成浜市有田区丸ヶ峰に住んでいる。

 隣人による就寝時の頭部へのテクノロジーハラスメント、ほかにも町ぐるみのストーカー行為で苦しんでいたが、何とか働いていた。




 不眠と悔しさで過食に走ったが、いくら食べても満たされない。

 体重が増加して止まらないので自宅でエクササイズを始めた。

 しかしエクササイズ直後に頭部へ攻撃を受けるため休めなくなった。

 体を動かせばウエストは小さくなったが、結局過食が止まらないので体重は増加する一方だった。




 美晴はエクササイズをあきらめた。

 就寝時のテクノロジーハラスメントに恐怖して暮らし、まともに眠れる日は来なかった。

 美晴は眠れない時間はブログで被害告発記事を書いていた。





 雨の降りだしそうな日の朝は、秋でも結構寒さがこたえる。

 美晴がアパートの集合ポストを見に行くと、細身長身の青年がポスティングをしていた。





 集合住宅は彼らの恰好の仕事場となり、広告が絶えない。

 美晴は青年を煙たく思ったが、集団ストーカーに被害に比べたらずっとましだった。

 彼女は彼を口うるさいおばさんのようには追っ払わなかった。

 彼女は自分の郵便物をポストから出して、部屋に戻ろうとした。




 「うわっ」

 途端に青年の声。

 手からチラシを取り落としてポスト前に広げてしまったようだ。

 美晴は営利活動をしている相手に手を貸すべきか、迷った。

 しかし、自分の足元に落ちてきたチラシの内容が目に飛びこんできて息をのんだ。彼女は一枚を拾った。




 “集団ストーカーを撲滅しようーー”

 彼女は彼に訊ねた。

 「あなたは被害者の方ですか?」

 「いいえ、僕は被害者の会の支援者、刈谷隆二です。丸ヶ峰には集団ストーカーの根城があります。彼らを許してはなりません」




 刈谷は優しい目をしていた。

 てるてる坊主が連れてきた天使のようだ。

 美晴の目からせきをきって涙があふれた。

 「助けて」




 彼女は彼に今までの被害を打ち明けた。彼は真摯に最後まで聞いてくれた。

 「苦しかったですね。被害者の会はどこも無理な勧誘はしませんが、うちの場合は困ってる方は会員でなくとも支援します。ちょっと待って」

 彼は小型のリュックを下ろして、中から何かのケースを取り出した。

 開けると中にアクセサリーが入っていた。





「電磁波攻撃の測定と記録が同時にできる装置が内蔵されています。あなたはもう耳に穴をあけていますね。こちらのピアスはケガしないようにシリコンと布で作られていますから日中と就寝時につけてください。取得したデータは自動的に被害者の会に送られます」




 美晴は藁にもすがる思いでアクセサリーを受け取った。昼も夜も身に着けた。

 そして刈谷からもらった名刺をお守りがわりにした。



 ターゲットがつけたアクセサリーから送られてくるカメラ映像とプライベート音声は友の会丸ヶ峰支部のコンピュータールームで盛大に監視された。

 追跡機能付きで、ターゲットを面白いくらいストーキングできる。

 無数の監視画像の中にターゲットは数えきれない程いたが、その中のひとつに映った美晴は泣いていた。




「ははははは、踊れ踊れ。統合失調デブの醜いヌード女優。海外ではサディストに売れるんだよ! そこだ脱げ! 泣きながら脱げ! 着替えろ、風呂入れ、トイレで出せ。豚にプライバシーの権利はない」

 



 鎌田聡は四十代。

 ターゲットの自宅に設置した監視カメラを毎日眺めて馬鹿にするのが快感だった。

 




 彼は最近、友の会丸ヶ峰支部の代表に昇格した。

 年の割に見た目の女子受けがよく、毎年、誕生日とバレンタインデーになると結構忙しくなる。

 鎌田アンチの会員女子もいるようだが気にしなかった。





 友の会はターゲットを統合失調に仕立て、人権を奪い、拷問データを各国の医者、学者、変質者に提供して財源にしている団体だ。

 ターゲットを実験体としてしゃぶりつくすため、決して殺すことはない。

 ターゲットが友の会の攻撃で脳障害になろうが、足がとれようが、本人が自殺するまで拷問を続ける。




 鎌田と同じように、ターゲットが苦しみに悶絶している映像を嗜好する金持ちは世界中にごまんといるのだ。

 友の会は別名死の商人と呼ばれる。

(続く)




 ある日の夕方、美晴はスマホを取った。刈谷からの着信だった。

「攻撃の証拠取れました。なるべく早く、どこかで会えませんか」

 後日、美晴は刈谷とファミレスでおちあった。




 刈谷はノートパソコンを持参していた。

 美晴の正面ではなく、斜め隣に座る。

 刈谷は美晴と自分のために飲み物をオーダーすると、パソコンを操作して彼女にコンピューターの波形画面を見せた。




 「攻撃データがこれです。素人が見てもわかりませんが、美晴さんのブログに張り付けましょう。十分抑止力になります」

 美晴はそこでも泣いてしまった。味方ができてうれしかった。

 「ありがとうございます」





 鎌田は友の会コンピュータールームで部下と一緒にターゲットを監視していた。

 美晴の周辺は常に友の会エージェントの監視カメラが固めている。

 




 友の会の主な監視団は、コンピューターを操作するため座っている。

 一方、外でターゲットに攻撃するメンバーは部屋の広さの関係上、鎌田が数を絞っている。

 鎌田本人と彼らは操作班の後ろに立って様子を見る体制。




 時間は午後三時を回ったところ。鎌田は監視画像から異変を察知。沢渡のぞみもまた、イレギュラーな事態に動揺したようだ。




 「刈谷は一体どういう動きをしてるの。シナリオにないじゃない」

 「あいつはね、おれが差し向けたのさ」

 「岬?」




 同席していた岬はセリフこそドスが利いていたが、次に沢渡に笑った時の表情は猫の子供のようだった。

 



 「理由を教えますよ。沢渡さん、これプレゼント」

 岬は沢渡に不透明なビニール袋を渡した。彼女は首を傾げた。

 「これは何」




  岬は明るく言い放った。

 「女子トイレの汚物入れの中身!」

 「きゃぁぁぁぁぁ!!」

  沢渡は金切り声をあげて袋を放り出した。同時に腰を抜かして地べたで動けなくなる。




 「はは、かわいいね!」

 岬は袋を拾うと沢渡の上で逆さまにした。

 彼女は汚物の雨を浴び、しばらく騒いで泡を吹くと失神した。

(続く)





死神

 鎌田は部下を問いただした。

 「岬、どういうことか説明しろ。沢渡といさかいがあったにしても刈谷のシナリオ変更と何の関係があるんだ」

 「いさかいなんかないよ」

 



 岬が鼻で笑ったので、鎌田はその無礼に不快感を覚えた。

 「何だ、その口の利き方」





「あのピアスは盗聴盗撮機であると同時に、おれが手を加えた正真正銘の被害データ記録装置さ」

 「岬――お前は何者だ」




 突然屋内に純白の花吹雪が吹き付けた。

 岬は逆巻く花の乱の中で一度見えなくなり、もう一度鎌田の視界に入った時は異様な容貌に変わっていた。




 濃いめの青紫にふちどられたヘリオトロープのローブと装飾品を身体に巻き付け、顔とはだけた胸には真紅のボディペイント。

 少し下がり気味の獣の耳を持ち、手足もそうだが、背中からうなじ、顎に至るまで獣毛に覆われている。

 そして巨大な鎌――デスサイズを手にしていた。彼は鎌田の質問に答えた。



「死神さ」



 鎌田は迷わなかった。

 「曲者だ。お前たち何をしている」

 しかし、広々としたコンピュータールームに応えはない。

 花の乱が鎮まると同時に人気がなくなり、いるのは鎌田と死神を名乗る岬だけになっていた。

 死神は言った。

 「じゃあ、遊んでもらおうかな」





 死神は笑いながらデスサイズを鎌田に向かって振りかざした。

 鎌田は凍り付いて動けなかったのに、狙いを外したのか巨大な凶器はコンピューター操作部にヒットし、機械を盛大に粉砕した。

 操作部は回路がショートしてバリバリと放電した。




 死神は自分の失敗に慌てる様子なく、どことなくうっとおしそう。

 妖艶でアンニュイなしぐさでデスサイズを操作部から引き抜いて構えなおした。



 鎌田は恐怖で声をあげて逃げまどいはじめた。

 逃げ道にもデスサイズが飛んできて、壁も座席も粉々にしてしまった。

 半獣の死神がけたたましく哄笑する。

 「あはははは、踊れ踊れ。ひまりさんみたいに!」




 飛んでくるデスサイズは鎌田が間一髪よけるので、別のところにばかりヒットする。

 コンピュータールームはダイナマイトでも仕掛けているかのように粉砕し続け、穴と残骸だらけになった。




 鎌田は恐慌した。

 デスサイズが自分に命中したら即死――いや、違う。急所は狙ってない。

 鎌田は悟った。

 死神は鎌田を身体障害者に仕立てるような攻撃ばかりしてくる。

 死神は楽しそうに踊り狂って狂宴を続けた。




 「踊れ虫けら。腕をもいで足をもいで、死なないように飯を流し込んで、一生トイレで飼ってやるよ」




 鎌田は部下にも知らせていない非常ボタンの場所にたどり着いた。

 ボタンを押す。

 コンピュータールームはスモークで一面灰色になる。

 鎌田は隠し扉から丸ヶ峰支部を脱出した。




 「あなた、血相変えてどうしたの」

 「わからない。とにかく丸ヶ峰支部がおかしい。今すぐ成浜支部へ逃げる」

 鎌田は自宅に飛んで帰り、妻を駆り立てて家を出た。

 車を走らせる。

 車内の夜のニュースは友の会と対決している組織、ブルーフェニックスによる友の会丸ヶ峰支部陥落を知らせていた。




 「死神がやったんだ」

 「あなた、どういうこと?」




 鎌田はその後、妻と一緒に友の会成浜支部の庇護下に入り、安全を確保した。

 彼は肩の荷を下ろし、数日後の昼下がりはブルーフェニックスに見破られないように伊達メガネで変装して支部周辺で羽根を伸ばしていた。

 するとある時、道路でクラクションが鳴り、鎌田は一瞬でトラックにはねられた。

(続く)



精神科

 「鎌田聡さん、私の声は聞こえますか?」

 聡はうめいた。

 「ここは?」

 「成浜市大病院のベッドです。よかった聡さん、あなた三か月間、昏睡していたのですよ」

 「じゃあトラックは」

 「怖いことはありません。あなたは守られています」




 聡は成浜市大から有田の丘病院に転院し、まるでVIPのような個室待遇で入院生活を始めた。

 しかし病棟からの外出は固く禁じられた。

 



 聡はどこにも傷を負っていないのに病院から制限を受けるのは納得がいかなかった。

 しかし、あまりな自由の奪われ方に怒ると、保護室に叩き込まれ、反省するまで出してもらえなかった。




 彼は妻との面会を求めたが、彼女は彼の知らない間に階段から落ちる事故に遭ったらしい。

 一命をとりとめたものの、現在別の病院で昏睡状態。




 彼は心配でいてもたってもいられなかったが、病院から出ることは許されなかった。

 彼はこうなると、血縁は兄の一家しかなかった。




 「私は何故入院しているのですか?」

 「そのうちにね」

 ナースや医者が自発的に事実を教えてくれることはなかった。

 



 聡は診察中、主治医の福山に迫った。

 「カルテに何て書いてあるのですか。私はどうして入院しているのですか」

 「飛び降りたって書いてあるよ」

 



 若い福山は院長でもあり、丸顔だが結構なハンサムで皇太子風だった。多分医者の二世か三世。

 ガツガツしていなくて、品がある。

 「どこから」

 「マンション五階から」

 「死んでるじゃないですか」




 「結構生きてるもんですよ」

 


 福山はこんな案件は慣れているといった風だった。

 「証拠は」

 「成浜市大の書いたことだから、もうわからないね」

 「目撃者に会わせてください」

 「目撃者には人権があるから拒否できるんだ」

 「私の人権はどうなるんです。私は飛び降りてない」

 「うん。何も認めろとは言ってないよ。認めない限り、具合の悪い人として病院から一歩も出さないだけだよ」

 



 「自白強要じゃないですか」

 福山は聡がぞっとするほど穏やかに言った。

 「病院は患者が認めない内に統合失調を押し付けたりしないんだ。認めたくなかったらいつまでも外出制限されていなさい」





 入院中の聡に対する兄一家の支援は薄く、差し入れられた衣類は全てサイズの大きい女物の古着だった。




 やっと新品で男物のTシャツが届いたと思ったら、試着する権利をはく奪されていたためにサイズが合わず着られない。

 聡は性別を否定された衣服を着て入院生活を送った。



 兄から小遣いが入れられないために聡は他の患者と平等に嗜好品を食べられなかった。

 さらに、肌の弱い聡はバスソープで顔を洗うことができない。




 差し入れがない間は水でしか顔を洗えず、吹き出物だらけになった。

 やっと洗顔料を差し入れてもらえたと思ったら、洗顔料ではなく女性用のメイク落とし。

 




 凍てつく冬が来るとレッグウォーマーは差し入れられたが、靴下はなかった。

 一冬裸足で暮らした。





 兄、俊哉は支配的な男だった。

 仕事を理由に見舞いに来るのは五か月に一回程度だった。

 俊哉は聡と同じに既婚者だったが、自分の家族を弟のために使うつもりは微塵もないようだった。




 「退院したいんだ」

 聡は俊哉が見舞いに来た時に言った。面談室で二人きり。俊哉は聡に訊ねた。

 「自分の事、どのくらいわかってる?」

 「全然わからない」

 「じゃあ、まだまだだな」





 俊哉は次に来た時に面談室で訊ねた

 「自分の事、どのくらいわかってる?」

 「おれは統合失調じゃない」

 「じゃあ、まだまだだな」





 俊哉は次に来た時に面談室で訊ねた。

 「自分の事、どのくらいわかってる?」

 「統合失調です」

 「やっとわかったようだな」




 聡と俊哉は親から差別されて育った。

 俊哉はネグレクトによる栄養失調で身長が伸びなかったが、同じ被害者の聡を攻撃した時だけ母親に褒められて、彼女の他界後は歪んだ大人に成長していた。

 いつも健康を損なっており、顔色は化け物のように一年中真っ青だった。

 



 俊哉は続けた。

 「じゃあ、おれより上にならない程度の情報提供だけはしてやってもいいぜ。おれに抵抗して、おれや病院側の解釈と違う考えを持ったらまた情報弱者にしてやるから覚えてろよ」




 聡はある朝、病院相談室の四十代の美魔女、ベテランケースワーカー、北崎に相談した。

 「兄から虐待を受けています」

 「事実はそうだって知ってるよ。でも医療関係者はそんな家庭あるわけない、何か理由があるはずだって自分をだますの。そして被害者患者には、家族も大変なんだって諭すの」

 



 「どうしてですか」

 「だって家族が憎みあうなんて悲しいじゃない。医療関係者は患者家族が助け合うように、形だけは最善の努力をするの」

 「じゃあ兄の虐待から助けてください」




 「だから暴力から逃げるってことは、家族で協力しあう義務からも逃げることだから、許されないの。助け合いの分担から逃げられるのは、家庭内で強い立場の加害者だけ。あなたには助かる権利なんかないし、助ける人もいないの」

 「どうしてですか」

 「統合失調患者の具合が悪くなったら誰か責任を取る人が必要でしょ」

 



 聡は理不尽を覚えて北崎に問いただした。

 「おれの人権は?」

 「ないね」

 北崎は切って捨てた。表情を醜く崩したわけではなかったが、艶めく唇で醜悪に笑った。




 「まあ、健常者の家族側が暴力の被害者でも同じ。精神病患者を抱える家庭内では、誰かがやられ役を引き受けてくれないと区役所も医療関係者も面倒くさいの。傍観者は家庭で利用されてる被害者がたとえ子供であっても、さらに便乗して責任者として将来まで利用するってわけ。合法的な暴力はいつだって楽しいよ。ざまあみろ」




 聡は三年間の入院生活の後、病院関係者に祝福されて退院した。

(続く)

選べ

 聡は退院後、何故かいろいろな制限を受けて、一度脱出した、丸ヶ峰で暮らすことになった。

 彼の妻はまだ昏睡状態で、彼は慣れない一人暮らしを余儀なくされた。




 「おれは統合失調じゃない。無理やり入院させられただけだ」

 「そうか。否定しないよ。聡さん、今日のお薬はちゃんと飲んだかな?」




 一度統合失調の烙印を押されたら、聡がどんなに発言しても事実を覆すことはできなかった。

 同情してくれる人はいても、一人の大人として扱ってくれる人にはもう巡り会えない。




 「統合失調じゃない。本当なんだ」

 「うん。聡さんはそう思うんだね。わかってるよ!」

 「うおぉぉぉぉぉぉぉ!」




 聡は昼下がりの区役所でパニックを起こし、気が付くと若い女性ケースワーカーを殴り倒していた。

 直後に周囲の男性陣に取り押さえられる。

 聡は一切の自己主張が赤ちゃん扱いを受けると知った今、もはや言葉を遣えず、吠えるしかなかった。




 聡は精神科あさかの丘病院の保護室に叩き込まれた。

 そこでずっと吠えた。

 誰も同情しなかった。




 彼が夕刻、力尽きて毛布にくるまった時だった。

 部屋の隅に何かいる。

 気配がまるでないので気が付かなかった。

 聡は目をむいた。




 「お前は死神!」

 「久しぶりだね。聡さん」

 



 座っていた死神は装飾品をジャラジャラ鳴らしながら、勿体つけて立ち上がった。

 相変わらずデスサイズを持っていた。

 「おれを統合失調にしたのはお前か」

 「そうだ。おれが全て手引きした」




 聡は相手が敵だと知っていても、藁にもすがった。

 「助けてくれ。金か、金が欲しいのか」

 「死神にそんなの興味あるわけないじゃん」

 死神は子供のように無邪気で残虐な笑みを浮かべた。

 確かに子供には金品の価値がわからないだろう。

 



 「どうしたらいいんだ」

 死神は重たいデスサイズをどしんと地面に立てた。もう子供には見えなかった。

 破滅の帝王だ。

 



 「ひまりさんは病院と兄から虐待され、統合失調の烙印を押され、しかも身体障害者になった。お前には特別に選ばせてあげよう。この先、統合失調で生きるか、彼女のように足を失うか。もし選ばなかったら、両方の苦しみを授けてやろう」




 聡は恐怖で震え上がった。

 失神してこの場を逃げてしまいたかったが、その時は選ばなかったことになる。

 彼は絶望して泣いた。

 「足を」

 「わかった」




 途端に保護室の壁と天井、鉄格子が外側に開いて無きものとなった。

 広大な空間が広がり、純白の花吹雪が大量に舞った。




 死神は身をひるがえすとデスサイズを聡に振り下ろした。

 しりもちをついた聡の下半身ごとデスサイズが床を粉砕し、聡は花吹雪の中で、自分の片足が高く高く飛んでゆくのを見た。





 「あなた、立って。交通事故は運が悪かったけど、怪我はなかったの。あなたは二本の足で歩けるし、走れるんだよ」





 聡はリハビリセンターで車椅子に乗り、朝から妻の愛梨に叱咤されていた。 

 美しく優しい女性で、四十代の聡とは離れて二十代後半。

 彼女を聡のトロフィーワイフと揶揄するものもいたが、二人の愛は本物だった。




 聡はトラックにはねられたのが夢で、三年間の入院生活と統合失調の烙印が現実かと信じていたが、ある時病院で目覚めたら逆だったことがわかった。

 彼は車椅子生活を余儀なくされた。




 彼女は叱咤というよりは必死で応援している。

 彼は絶望して首を横に振り、両手で自分の顔を覆った。

 「おれはもう歩けないんだ」



 「何を言ってるの。お医者様が太鼓判押してくれたじゃない。歩けないと思っているのはあなた。本当は歩けるの! さあ、元気を出して」

 彼は苦しさのあまり癇癪を起こした。

 「歩けないんだ!! 何やっても無駄なんだよ!」




 愛梨はリハビリ施設の外で泣いた。

 背後には、ご神木のように大きな木が施設に寄り添っており、彼女の隣にはセンターと隣接した病院に勤務する、聡の主治医が立っていた。

 彼女より少し若い。細身長身に天使の容貌、マリアのような瞳。彼は言った。

 「元気を出してください。ご主人はきっとよくなります」

 「若鷺君、私もう嫌だ。頑張れない」

 




 彼女は彼にしがみついた。

 彼は彼女を強くかき抱いた。

 「あなたの身体の面倒は僕が見ます。心はご主人を捨てたらいけない。誰だってくじける時があるのです」

 「若鷺君」

 愛梨は泣きながら青年と熱い口づけを交わした。

再会

 ひまりが開運アクセサリーをつけてからひと月と少しが経とうとしていた。

 季節は移ろい、今ではどこもかしこもクリスマスモード。

 ファーストフードの店ではサンタコスチュームの店員が細かったり太かったりして客を呼び、TVに映る第一線の女性たちは流行のコートと口紅で美を競っている。




 ある暖かい日の朝、ひまりは自分が信じられないくらい熟眠できたことに気が付いた。

 悪夢のような夜は来なかったのだ。

 



 彼女は狐につままれた気持ちで、ベッドからはい出し、落ち着かずキョロキョロしながら朝の身支度を終えた。

 直後にスマホに着信があった。彼女はそれを取った。




 「はい」

 「ブルーフェニックス隊員の御門と申します。立川さんのケータイでよろしかったですか」

 「ブルーフェニックス? あの都市伝説みたいなーー」

 「我々は集団ストーカーと戦っています。昨晩あなたに攻撃していた電磁波装置破壊に成功しました。今朝は眠れましたか?」

 「え? え?」

 



 彼女は頭が真っ白になった。

 「先に友の会丸ヶ峰支部を陥落しましたが、あなたの被害の場合、相南区支部が一枚かんでいて、解決に時間がかかりました。お待たせいたしました。あなたはもう自由です」




 彼女は混乱し過ぎて、気が付くと涙を流していた。

 「まただましてるの? 本当なの?」

 「人を信じられないお気持ちはお察しします。ブルーフェニックス本部におこしくだされば事実がわかります」




 「あの私、あなたの声、知ってる気がして」

 「僕は友の会に“岬”として潜入していました。あなたに会った時は駆け出しのジュエリー作家を名乗りました。あなたに渡したイヤリングは僕がスパイだった都合上、盗聴盗撮機能もありましたが、同時にブルーフェニックス本部に被害記録を送信していました」




 彼女は疑いかけていた青年が味方だったことがわかり、リョウコの言葉を思い出していた。

 ――生きていればきっとーー




 ひまりの唇はわなないた。

 「岬――御門さん、会いたい」

 しばらく間が開いた。彼女が無視されるかと思っていたら、思いがけない返事が返ってきた。

 「僕、あなたの部屋の玄関前にいます。ブレーカーに攻撃されないよう細工をしていました」




 彼女は驚いてスマホを取り落とした。

 不自由な体を引きずって玄関ドアに縋りつく。

 ドアを開けた。

 つなぎ作業着、冬装備姿の青年が立っていた。

 「御門さん」




 ひまりは泣きながら青年にしがみついた。

 彼は熱い抱擁で彼女に応えた。

 アパートの上に季節外れの青空と羊雲が広がっていて、まるで御門の使者のようだった。





 ブルーフェニックスの若き女ボス、天神みことはへそを曲げていた。

 「コスプレして舞台装置使って、お前は金食い虫か」

 「自由にやっていいって言ったじゃないですか」

 「全く。何それ」

 「小道具」




 朝のブルーフェニックス本部、みことの執務室。

 彼女が説教中の第三部隊員、御門凪は死神に仮装して鎌田聡に心理攻撃を加えた。

 聡の足に仕立てた義足を曲げたり伸ばしたりして、ぎっちゃんぎっちゃん遊んでいる。




 凪のシナリオと現場豪遊っぷりに、彼女は辟易としていた。

 ブルーフェニックスはみことの金と権力で回っている。




 陥落した友の会丸ヶ峰、および相南区支部の財産は全て没収され、被害者救済に当てられた。

 しかし、友の会は雑草みたいなものなので、また再形成されるだろう。

 ブルーフェニックスは彼らとイタチごっこをしている。

 無駄なようだがかなりの抑止力となって活動していた。




 後日の昼下がり、美晴はブルーフェニックス本部で救世主と再会した。

 「刈谷さん」

 「偽名でやってました。僕の本名は若鷺仁です」

 



 彼女は彼の本名を聞いただけなのに、舞い上がってドキドキしてしまった。

 「若鷺さん、ありがとう」

 「多分お体を壊されていると思いますが、ブルーフェニックスは被害者の健康回復に協力できます。困っていることがあるなら女性スタッフが聞きますよ」




 「私、身体動かしたいです」

 美晴が意気込むと、仁はにっこり笑った。男性なのにマリアのようだった。

 「素敵です。栄養管理士とフィットネスを紹介しましょう」





 同じくひまりもブルーフェニックス本部で涼子と再会し、ハンカチを返すことができた。

 「わあ、ありがとう」

 「涼子さん」

 ひまりの目に熱いものがこみ上げた。

 「泣き虫さんね」

 涼子はひまりをやさしく抱きしめた。




エピローグ

 「そんなの、告っちゃえばいいんだよ」

 ひまりは突然言われて途方に暮れてしまった。

 「でも」

 「私、若鷺さんにふられちゃったけど、ダイエットしてもう一回アタックするんだ!」

 ひまりと被害者同士意気投合して友達になった美晴は、アパートに遊びにやってきていた。




 季節は真冬。

 女性のファッションではパステルカラーの装いに、自己主張の強いマゼンタピンクをネイルやマフラーなどのアクセントとして少しだけ使うのが流行している。




 二人は発熱素材の衣類でもこもこになりながら、仲良くホットココアを楽しんでいた。

 美晴は失恋したとは思えないくらいキラキラ輝いている。

 フィットネスに通い始めたとあって血色もいい。

 ひまりの話を聞いて、火のついた策士のようにもみ手を始めた。




 「うふふ、しょっぱなから何していいかわからないんでしょ。小麦粉とバターはあるんでしょうね? ほほほほ私に見せてごらんなさい」

 「ちょっ、まっ、あのあのあのあの」

 ひまりは妙に押しの強い美晴に冷蔵庫を物色されてしまう。





 ひまりは再びブルーフェニックスに向かった。

 昼の窓口担当に用はなく、わざわざブルーフェニックス本部を遅く訪れ、夕方を待った。




 あいにく雪の日で、外に出れば吐く息が白い。

 日は短く、雪化粧した町はネオンに光り始める。

 窓から見える風景は何ともロマンチックだった。




 ひまりは交代したブルーフェニックス実働部隊が一部帰ってくるのでは、と一縷の望みをかけていた。

 そして天は彼女に微笑んだ。




 彼女が気配に気づいてブルーフェニックス玄関前に出ると、御門は先刻、仲間と一緒にトラックで帰ってきたらしく、本部前で先輩隊員とおぼしき男性からお叱りを受けていた。

 先輩隊員は仕事を果たすとそこから去った。ひまりはすかさず御門に声をかける。



 「御門さん」

 彼が振り返る。

 「立川さん」




 「あの、これ」

 ひまりはぶきっちょに彼に近づいて、美晴に教えられた手土産を差し出した。

 御門の仕事仲間たちがざわざわした。

 御門はびっくりしたようだ。

 「僕に?」





 ひまりは緊張して気が遠くなったが、小さな声を絞り出した。

 「手作りクッキーです」

 周辺で見ていた御門の同僚たちがどよめく。御門は嬉しそうに、はつらつと答えた。

 「ありがとうございます!」

 「御門さん、あの私、す、すーー」




 御門は瞳をぱちくりしていたが、意味がわかったらしく、ぱっと笑った。

 「好きですか! じゃあ、チューさせてください!」

 「は?」

 「んんんんんんん……っま!」




 御門はやおら、ひまりの頭をアイアンクローのようにつかむと、『ん』のところで口をくっつけ、『ま』のところで顔を離し、彼女の額に品のないキスをした。




 「やった! おれチューしちゃった! やったよ!!」

 終わると御門はガッツポーズ。

 ぴょんぴょん跳ねながらバカでかい声で仲間に宣伝。

 彼の同僚たちがずるいぞ、馬鹿か、子供かと言って彼をどつき倒している。




 ひまりが口をぱくぱくしている間に御門が彼女を本部玄関前の壁に追い詰める。

 「壁ドンだ!」

 彼女の顎を持ち上げ、

 「顎クイだ!」




 彼女を荷物のように抱えて、玄関自動ドアを通過。なぜか本部窓口に突進。

 「お持ち帰りごっこ!」

 彼に下ろされると彼女はしどろもどろで説明した。

 「私、本気、本気でーー」




 さっきまで騒いでいた御門の目の色が変わった。

 狩りを終えたほんのいっとき、妻をやさしく見つめる闘神マーズの目の色。

 ひまりはドキッとした。

 しかしそれは一瞬。

 そして、別の意味でマーズだって一瞬に違いないのだ。




 御門は破天荒に笑った。

 「僕、嬉しいです! これ受け取ってください!」

 彼が窓口に来た意味がわかった。飾ってあったマスコットをひまりに差し出す。




 「ブルーフェニックスのゆるキャラ、戦国時代が終わって今やクビ寸前のモッシー」

 「モッシー?」

 「もさもさしてて気持ちいいでしょ?」





 御門はモッシーを抱えたひまりを、再び米俵のようにかつぐ。

 本部の玄関前に出てブルーフェニックス専用タクシーを呼んだ。

 運転手に話しかける。

 



 「山崎のおじーちゃん、彼女を自宅までお願い。おれのポケットマネーでいいから」

 「凪、さっきから騒がしいねえ」

 ひまりは御門のペースで車内に詰め込まれてしまう。

 モッシーを抱え、窓から御門に向かって口をぱくぱくしたが、言葉が出てこなかった。




 御門が山崎に告げる。

 「出発して」

 「あいよ」

 タクシーが動き出した。見送る御門は笑顔で跳ね飛びながら両手を振っている。

 「じゃあね。ひまりさん、愛してるーー!!」





 山崎はタクシーを走らせた。

 街路樹はすっかり雪化粧で、道なりの商店にライトアップされている。

 歩道の通行人の中に若い親子連れの姿が見えた。

 手袋の子供がマゼンタピンクのリボンのついた紙袋を嬉しそうに抱えている。

 きっと親からのプレゼントだろう。

 



 老いた山崎には若者がまぶしい。

 山崎は凪から頼まれた彼女に言った。




 「何があったか知らないが、凪はあんな子だからね。ぶきっちょは許してあげておくれ」

 すると車内で呆然としていたはずの彼女が、思いがけず笑う声が聞こえた。

 



 山崎は肝を冷やした。

 しかし後部座席の彼女はおかしくなったわけではない。

 バックミラーの中の彼女は突然艶っぽくなり、胸の中のモッシーをぎゅっとしていた。

 「私、御門さんが本気になる女性になります」

(終わり)