はじめに

こちらはアメブロ時代、ブルーフェニックスシリーズの前身「涼子」の次に書いた、ブルーフェニックス第一エピソードです。



当時はブルーフェニックスでなく、「ハーメルン」でした。今回はそのまま残します。



凪はの名は、現在「御門凪」ですが、アメブロ連載当時は「帝凪」でした。帝凪だと、名字なんだか、キラキラネームなんだかわからないので、直した次第です。



最近の設定とちょっと違いますが、お楽しみ下さい。




第一章

澪は二十五歳。統合失調の診断を受けていた。退院後は一人暮らしで、日がな騒音被害に苦しんでいた。




しかし診断を受けた以上、騒音の相談は人に出来なくなった。全て“幻聴”で片付けられるからである。バカにされて傷つくのは彼女一人だった。



 

騒音被害は夜が派手だった。澪は連日就寝直後に攻撃を受け、ベッドから跳ね起きて家の中を駆けずり回った。




眠れないのだ。部屋中にクッションを敷いたり、アルミシートを張り巡らせたりしてると、いつも夜が明けてしまう。




そして対策を練ったにも関わらず、翌晩はそれらが全くの徒労だったことが判明する、絶望と過労の日々が続いた。

 




“友の会”監視団は二十人体制で澪を攻撃していた。夜になると数十種に及ぶ盗撮映像を忙しく切り替え、映像を睨み続ける。




「ターゲットがヘルメット被りました」

「バカだな、ヘルメットで電磁波防御なんか出来ないのに」




団長は着席している部下の後ろに立って指揮を取っていた。指令を出す。

「スタンガン照射」

「了解」

「待って」

一同は攻撃の手を止めた。

「何ですか、高崎先生」

彼女も団長と一緒に監視団の後ろに立っていた。紅一点である。彼女は団長に答えた。




「電磁波のパンを左右に振りながら、ターゲットにゆっくり近づけて。時々後退するともっといい」

「でも、ヘルメットなんかイチコロではないですか」

「バカね」




高崎は壮年の団長がレベルの低い赤ちゃんに思えて可愛かった。

「一度“ヘルメットで防御出来るんじゃないか”と希望を持たせるのが効果的なの」

 




高崎は指示した。スタンガンがまるで盲目の蛇のように這いずり回ってターゲットを探っているかのような演出をしろと。



説明も追加した。攻撃予告が長ければ長いほど、ターゲットの恐怖は倍増する。もったいつけたあげくにターゲット頭部にスタンガンを照射すれば、ターゲットは絶望してより早く死にたくなる。




 

これを聞いた団長は目を輝かせた。

「なるほど! さすが二十八歳のコーデリア賞学者、高崎真理先生。世紀の天才です」

 




彼女は少し暑くて白衣を脱いだ。空席の背もたれに掛ける。白衣の理由はマウスを扱うことがあるからだ。




彼女は監視団の中の若手青年に近づいて話しかけた。

「何かスポーツ、やってる?」

「どうしてわかるんですか」

彼は面食らっていた。目を丸くしてかわいい顔してる。

「私も若い頃かじっていたから、わかるんだ」

真理は美しい青年を引っ掛けるのが好きだった。




 

あさっての方向から団員の声が上がった。

「先生、やりました。ターゲット過呼吸になってます」

「もっとじわじわいじめ抜いて」

真理は適当な指示を出しておいた。



 

澪はのちにノイズキャンセリングヘッドホンを購入して、ようやくマシな生活が送れるようになった。



これを機会にブログを書き始める。電磁波の証拠をあげようとして騒音計も買った。数値については無知だったが、計っている内に感覚がつかめてきた。

 



無音の時。

計測値37

MAX38

MIN35

 


夏の雑木林。セミの大合唱。

計測値74

MAX75

MIN73

 


電気屋の騒音。

計測値73

MAX76

MINーー計り忘れ。

 


とにかく人間の耐えられる音というのは、MINとMAXに大差が見られない。澪を苦しめる騒音はこういった音ではなかった。

 


計測値37

MAX74

MIN35

 


ーーつまりMAXだけがいつも電気屋の騒音級であり、音質はそれと違って人間には我慢できないものだった。

 



澪は証拠をあげれば“幻聴”とバカにする人はいなくなると信じた。騒音計を使って理解者をつくれないだろうか。

 



彼女は週一で訪問看護を受けていた。担当の女性看護師は四十路の川西。ぽっちゃりしてて親しみやすい人だ。



澪はついこの間まで、退院後の訪看を空気のように感じていた。しかし騒音攻撃が始まってからの訪看はつらいものだった。



 

澪は訪看の時間を向かえた。一人暮らしのため、あまり椅子を持っていない。澪はいつも通りベッドに腰かた。川西には同部屋の机の席を勧めて、後ろを振り返ってもらっていた。



 

澪は時間中、案の定騒音で攻撃された。川西は平気だった。

「どうしたの、北川さん」




澪は冷静を保つ努力をした。小型機械を出して、看護師に見せる。

「川西さん、これ知ってますか」

「なあに?」

「騒音計です。珍しくて買っちゃいました。見ててくたさい」




澪は騒音計を自分の頭とエアコンの直線上にかざして計測した。そうしないと攻撃値が出ないからである。

「出ました。MAX75です」




川西は興味を出した。

「それはどういう数値なの?」

「電気屋の騒音と同じです」

「ええ? 私は何も聞こえないよ?」

「じっとしててください」




澪は立ち上がった。川西の頭部に騒音計を持っていって計測した。

「MAX37です。川西さんの耳には騒音は届いていません」

「それはどういうこと?」




澪は口ごもった。川西が天真爛漫に完全思考停止してしまっている事に気がついた。犯罪当事者でない人間は、どんなに状況証拠が揃っても犯罪の可能性を否定する。ではどうする?




ーー自分だけが標的になってる。

これを言ったら病人扱いされるだけだ。騒音計で証拠は取れたが、役には立たない事がわかった。澪は味方作りに失敗した。


第二章

翌週、澪は玄関を開けた。

「じゃあ、今日だけお願いします。北川です」

「はい、私は町田と申します」

町田は淡い紫のワンピースが似合う女性だった。



澪は町田が何歳かわからなかった。年上だとは思うが、年齢不詳の女性ってたまに見かける。




町田は言った。

「急にごめんなさいね。川西さんが抜けてしまって」

「いいえ、お子さんが発熱なら仕方がありません。あがってください」

「おじゃまします」

町田はヘルプの看護師だった。



 

澪は訪問看護の時間中、やはり騒音攻撃を受けた。町田は何ともない。澪は両耳を押さえて歯をくいしばった。

「どうしたの」

「具合が悪いんです。帰ってください」




町田は鞄から携帯を出すと、腰を上げて澪の耳にかざした。

「何ですか」

「じっとしててください」

町田はもう片手の腕時計を確認している。




ーー新型の血圧計かも。

澪は内心そう判断した。看護師は必ず脈や血圧ーーバイタルを取って帰る。しばらくすると町田は時計から目を上げた。




「具合が悪いのでは仕方がありませんね。私は帰る準備をしますから、待っててくれますか?」

「はい」




町田はもう一度腰かけて、澪に背中を向けた。ノートパソコンをたたき始める。

「北川さん、悪いですが、ケータイの電源切ってくれませんか」

「どうしてですか」

「パソコンの調子が悪いです。電波干渉してるかもしれません」

「よくわかりませんが……」




澪は機械に弱い。町田が言うならそうなのだろう。澪がその通りにすると町田はさらにパソコンを操作した。

「ありがとう。電波つながりました」

「そうなんですか?」

町田はパソコンを閉じて、鞄から紙切れを何枚か出した。




「手品して帰るから、見ててください」

町田が立ったので澪も続いた。そして騒音攻撃はいろいろなパターンがあるが、一点集中型の場合、移動してればかわせる。澪はかろうじて楽になった。

 



町田は澪の部屋のあちこちにシールを貼った。家具や家電ーー。賃貸だとシールを嫌う人もいるが、手品なら後から剥がせるもののはず。澪は町田の行為を不思議に思って、うしろをチョロチョロついて回った。

 



町田は作業を終えると笑顔で振り返った。

「はい、盗撮盗聴機は封じました。電磁波攻撃の証拠も取れましたよ。あなた統合失調ではありません」




澪は奇跡に言葉を失った。突然の来訪者には後光がさしていた。

「私はハーメルンの梶涼子。黙っててごめんなさい。看護師ではありません」

 




“友の会”監視団はこの程度のことで動揺しなかった。

「カメラ全て封じられました」

「会話も拾えません」

「ターゲットの味方が現れたかもしれません。先生、次の指示をお願いします」




よくある展開だ。真理はむしろ面白かった。

「協力関係になんかさせない。味方も孤立させましょう。統合失調工作すればいいの。バカな女でしたね」




団員の一人が真理を称賛した。

「さすが先生です」

「でしょ」

「はい」

彼女が目をつけた青年だ。またポイントが上がった。彼女は攻略するのが楽しくなった。

 



彼が立ち上がり、懐から拳銃を出した。友の会員SPは銃を携帯してるが、彼は違う。真理は一瞬、虚を突かれた。

「緒方君、そんな危ないもの」




彼は制止を聞かずに突然監視装置に発砲した。彼女は目を疑った。

「気でも狂ったの? その装置が何億すると」

「狂ってるのはあんただ」

緒方は監視装置に銃を乱射した。




真理と団員は全員声を上げて床に伏せた。装置は破損箇所から唸りを上げて放電した。

「SP、何をしてるの」

彼女の声に反応する者はいなかった。




かといって彼女は敵に囲まれているとは思えない。長い付き合いの団長は彼女と同じに応援を呼んでいるし、結婚できて喜んでいた宮本も震え上がっている。




それに、乱心した緒方だって、警戒して監視団に銃を突きつけている。いや、警戒してるか?




「真理さん、それからこんなのがあるよ」

緒方は銃をかざしながら、空いてる手で壊れた監視装置の下から大きな物体を引きずり出した。小銃を収めて物体を担ぎ上げる。



「そんなもの、いつから」

「二ヶ月前からあったよ」

緒方は真理にケロリと答えた。

「みんなどのくらいターゲットに熱心か、よくわかった」




彼は監視装置に的を絞って、堂々と団員に背中を向けた。真理は動揺するより、冗談かと思った。

「ちょっと、それはやり過ぎじゃ」

「今日も元気にいってみよう」




友の会の監視装置はバズーカーで風通しが良くなり、その名残すらも見渡す限りのクレーターと化した。




人間は標的ではなかったため、団員は生き残ることができた。真理は立ちつくした。

「緒方君」

彼は笑って振り返った。

「偽名だ。おれはハーメルンの帝凪(ミカド・ナギ)」


 

第三章

涼子は続けた。

「私のケータイは偽装騒音計でもあるんです。MAX75確認しました。スタンガンで攻撃されています」




澪は天地がひっくり返る思いがした。

「ハーメルン、人さらい組織?!」

「俗称はそうです」

澪が声を上げると、涼子は花のようにほころんだ。

「実際には福祉と警察の警察、その他もろもろの要素があります」




「私に会いに来てくれたんですか」

「そうです」

澪の問いに涼子は頷いた。

「ハーメルンは精神科のデータは全て管理しています。川西さんから騒音計の話を聞いたので、電磁波の有無を確認しに来ました」

 



澪はとっさに口走っていた。

「そのケータイ、私にもください!」

「いいですよ。こちらで提供します」

涼子がにっこりすると、澪は今更ながら涙が込み上げてきた。




「騒音計で証拠は取れるのに、人に伝えようとすると数値が変わってしまって」

「普通の騒音計では犯人に孤立させられて味方は作れません。でもがんばりましたね。もう大丈夫です」




涼子は澪の肩をぎゅっと抱いて、片手でうしろ頭をぽんぽんたたいた。澪は泣き言をぐっとこらえた。詳しく話が聞きたくなった。

「もう少し居てくれますか」




涼子は快諾した。彼女の身体が離れたので、澪はもう一度涼子に椅子をすすめた。涼子が礼を言ってかけたので、澪も最初と同じにベッドに座った。




澪はたずねた。

「ケータイの電源切るのに意味はありましたか」

「端末にマイクが二つ入ってます。マイクブロックアプリで片方を封じても、もう片方が会話を拾っています」




「幻聴工作はどうやってるんですか」

「少し長い話になります。まず犯人側は組織なので、不動産を担当する部署があります」

 



涼子は語った。犯人はターゲットの引っ越しのタイミングでカメラを設置し、屋内の間取り、家具の配置、ターゲットの生活パターンを把握することからはじめる。

 



涼子は机でノートパソコンを開いてたたき始めた。

「澪さん、これ見て」

澪はその通り、ベッドを立ってパソコンをのぞきに行った。画面にこじんまりした一室の写真があった。

「澪さんの部屋モデルは無いので、見本の部屋を例にします」




涼子は見本に架空の線を上書きした。縦、横、高さ、それぞれ10本以上。澪はピンとくるものがあった。

「三点透視法のラインじゃないですか」




画家が遠近画を描く時に下書きとして線を引く手法がある。涼子は振り返った。

「絵を描くんですか」

「いいえ、まだーー。興味はありますが」




涼子は微笑んだ。

「このラインはいろいろな名で呼ばれていますが、初心者の方が三点透視の名を知っていたら400点です。見通しはきっと明るいですよ」

澪は背中がかゆくなった。目線もフワフワしてしまう。上手な人だな、と思った。

 



涼子は説明した。

「この線は絵描きさんも使いますが、実は音楽家も使います。音楽家のラインは扇形ですが、技術次第で立方体も可能です」




彼女は続けてパソコンをたたいた。そしてホログラムも絵だと語った。ホログラムアート界にはもっと気の利いた説明があるが、彼女は音楽よりの人間なのでそちらの用語で説明するらしい。

 



犯人はターゲットの部屋に架空の線を引いて、均等な立方体に分割する。そして好きな座標から音を出す。

「この座標のことを、コンピューター音楽の世界では“定位”ーー“パン”と言います」

 



涼子はドライな口調で過去を語った。若い頃、ケータイとパソコンに恵まれなかったため犯罪に苦しんだ。しかしIT機器の代わりに音楽制作コンピューター、シーケンサーのYAMAKAのQYを持っていた。

 



QYは初心者でも親しみやすいが、プロ使用のシーケンサーがどういうものか、彼女も容易に想像できた。パンの知識がある程度彼女を救った。

 



「音楽家は楽器をパンで振って演出しますが、犯人は楽器の代わりにスタンガンを使います」

 



被害者の家、アパートを工作してスタジオに改造してしまえば、犯人はスタンガンの音を見えない蛇が這いずっているように演出できる。




音だけでムササビが壁と壁を跳躍しているようにも演出できるーー。彼女は結んだ。

「最先端兵器とホログラムアート、及びコンピューター音楽の知識があれば、電磁波攻撃は科学的に証明できます」





 

「そして、集団ストーカーの資金源も証明できる」

凪は自分の開けたクレーターに背を向け、監視団に小銃を向けて楽しそうに威嚇していた。バズーカーはほっぽった後である。




「新しい拷問方法を開発して権力者とマフィアに提供し、生産した被害者は人権を持たない実験体として学者仲間に提供してるね。そして研究成果は名声に変えて肥やしにしているコーデリア賞学者、高崎真理さん、あなた死の商人だ」




「何を根拠に」

「もう録音しちゃった。本部に送信済みだ。気の毒だったね」

凪は懐からペンを出してひらひら振った。ICレコーダーだ。

 




彼の子供っぽい荒々しさ、プライドの塊みたいな双眸と立ち姿、人間と言うより百獣の王だ。そして特に媚は売ってないし確かに男なのだが、真理は彼の色香に理性が吹っ飛びそうになった。

第四章

凪は続けた。

「学者と権力者の利益を考えれば、ターゲットの家をスタジオに変えるくらい、安い買い物だったよね」




真理は理性をかき集めて思考力を取り戻した。状況を覆さなければ。仲間も同じことを考える。監視団の一人が退きかかった。




「動くな」

凪は銃を地面に向けた。

ーーガキンガキン

威嚇のため発砲したつもりのようだか、出来てない。

「あれ?」

凪が戸惑っている。弾詰まりだ。




真理はこれを見逃さなかった。

「取り押さえて!」

監視団が動いた。すると内数名が曲芸のように吹っ飛んだ。技をかけたのは同じ団員。




真理が目をみはると、大柄な壮年の団員が真顔で言った。

「悪いねえ、真理さん。潜入してるの、凪だけじゃないんだ」

「まさか」

「そのまさかだよ。摘発!」



監視団と監視団が共食いのように取っ組み合いはじめた。凪も参戦する。片方の人数が圧倒的に多く、十五分でかたがついた。




 

終った後、真理は凪が弾詰まりを直せる時間などいくらでもあったことに気がついた。けれど彼は発砲しなかった。




凪は説明した。

「三分の二がハーメルンのスパイだったわけさ。あんたたち、何年もかけてターゲットの私生活に潜入するね? だったらおれたちも同じ。何十年もかけて集団ストーカー内部にパイプ作ってるんだよ」

 



監視ルームは制圧された。おそらく外もーー真理は懐から護身用の銃を出して、自分のこめかみにあてた。南無三。

 



しかし次の瞬間、得物ははじきとばされた。凪の射撃によるものだった。

「帝」

「おれのこと、気に入ってた?」

 



真理は右足首に違和感を感じた。そちらを見て悲鳴を上げた。大型ヘビが巻き付いてくる。



彼女は気がつくと太ももに仕込んでいた銃でヘビの頭を吹っ飛ばしていた。SPではないが武器を使えないわけではなかった。

 



どうして監視ルームにヘビなんか。彼女が視線をめぐらすと、凪の姿。



大型ヘビを首に巻き付けてじゃれあってるのが見えた。彼が真理を振り返る。子供のように笑ったが、瞳が彼女をあざけっていた。

 



彼女の左足に別のヘビが絡みついてきた。凪の声。

「どうせ投降するなら、一口くれないかなあ」

やってるのは凪だ。彼女は逆上して凪の頭を銃で吹っ飛ばしていた。

 




冷静に考えれば、仲間を制圧されているのに一人で抵抗するのは不利だ。制圧されているのにーー




真理は辺りを見回した。誰もいない。左足のヘビもいなくなった。辺りには監視ルームの代わりに、東洋の装飾がほどこされた豪奢な寝室が広がっていた。



 

明かりはほとんど無い。オレンジの常夜灯が光っているだけだ。正面に頭から血を流して大の字に倒れた凪がいる。




さっきと違うのは彼がアジア系のきらびやかな布を身体に巻き付けていることだ。しかも、女ものではないか?



 

真理には状況が飲み込めなかったが、大勢のハーメルンはいなくなった。彼女は考えた。逃げられるのでは?

 



その時、凪がむっくり起き上がった。

「噂どおりの美貌だ。でも涼子さんも負けてないぜ」

額に風穴があいているのに言うのだ。真理は恐怖にかられて何発も打った。



弾切れするまで打った。凪は蜂の巣になって倒れたがやはり涼しそうに上体を起こした。

 



違法な薬でもやってるのかとあやしくなるような、なまめかしい笑い方をしている。彼の髪がうなりをあげてどっと伸び、床に流れ落ちた。



見えなくなった彼の顔がもう一度のぞくと、確かに凪なのだか、官能的な唇も、くびれた腰も、あでやかな胸も、女のものになっていた。

 




真理は夢なら罪を暴かれたのも夢かと思った。しかし、寝室に真理の声が流れた。

ーー一度“ヘルメットで防御出来るんじゃないか”と希望を持たせるのが効果的なのーー




ICレコーダーの音声だ。

「この」

真理は凪を睨み付けた。やはり彼はハーメルンだ。



 

真理は薄暗い足下に鉄パイプが転がっていることに気がついた。贅沢な寝室に似つかわしくないと思ったが拾い上げた。



次は下半身に三たびヘビがまとわりついたと思った。しかし振り返ると凪だった。

 



凪を彼といったらいいのか、彼女といったらいいのかーー、いつの間に真理の背面に回ったのかわからない。



凪は両膝をついた祈りのような姿勢で、両手を真理にからみつけてきた。凪の手が真理の胴体をゾロゾロ這い上がってくる。人間じゃない。

 




真理は足技で凪を蹴飛ばした。間髪入れずに鉄パイプで彼の頭を吹っ飛ばした。暗くて視界が狭いため、凪は闇にのまれて見えなくなった。

 




真理は確実に凪の頭蓋骨を潰したと思った。しかし、次に何かが天井から降ってきて真理におぶさりかかった。真理は悲鳴を上げた。相手が凪だったことで更に恐怖をあおられた。

 




真理は凪をひっぺ返すように投げ飛ばした。次に自分の腰に重みを感じて触れてみると、全長50センチあまりの斧が下がっていた。

 



仰向けに倒れた凪が上体を起こした。真理は迷わなかった。斧を振り上げ、凪の上半身を肩から心臓まで、バッサリ両断した。確実に背骨を切断したはずだ。でも凪は、笑っていた。

 



真理は豪奢な寝室がどこだかわかった。東洋の古代君主が、毎晩襲って来る女食人鬼と死闘を繰り広げた舞台だ。



 

真理が斧のつかから手を放せない中腰でいると、食人鬼の青ざめた両手がスルスル伸びて、真理の首をとらえた。真理は相手が男の凪であることに気がついた。流れる長髪も、豊満な胸も、もはや無い。

 




凪は真理を自分の間近に引き寄せた。

「おもしろかったよ。さよなら」

彼の唇が彼女の口をふさいだ。彼は彼女をついばんで顔を離した。



途端に真理は炎に包まれた。ガソリンをかけられたわけでもないのに、なんという燃え上がり方。真理は絶叫していた。

 



転げ回りそうになるのだが、凪の両手が火の鳥を面白がるように彼女の首をつかまえていた。彼の、狂った好奇心に彩られた眼が真理を見てる。炎は彼には燃え移らなかった。

 



「凪、終ったか」

「うん、あっけないね。みぞおち一発」

ハーメルン第三部隊長は凪に指示を出した。

「じゃあ彼女連れて来てくれ。撤収だ」

「了解」

凪は気を失った真理を担ぎ上げ、監視ルームを後にした。



 

後日、大柄でいつも目立つ壮年、第三部隊長、搭吉郎はハーメルンの若き女ボス、命(ミコト)と話し合った。




終えると挨拶して彼女の部屋を出る。休憩に煎餅を食べていたら、彼女が執務室から職員の詰め所へと出てきた。やはり納得がいかないのだろう。

「凪、何か知ってる?」

「知りませんよ?」




彼女は相手の返事に弱って頭をかいていた。

「おかしいなー。隊長も知らないって言うし」

「僕はホシに暴力を振るって怒られる時が365日満載ですが、女性にはしません」

凪は悪意のない口調で子供っぽく反論した。




命がむきになる。

「その問題だらけの素行から言って、疑われるの、当たり前でしょ!」

「信じてください!」

「じゃあ、素行を直せ!」

「おれの澄んだ眼を見てよ!」

「ええい、タメ口すな!」




搭吉郎が姉弟ライクな喧嘩に割って入ろうか考えた時だ。

「ボス、どうしたんですか」

搭吉郎より先に涼子が入った。




命は説明した。

「高崎真理が半身不随になってしまって」

「医者は何と言ってますか」

「外傷なし。精神的なショックが原因とか言ってます」




涼子は落ち着きはらっていた。

「じゃあそうなのではないですか? 弱い人だったんです」

命は肩を落とした。

「しかし、急な話でこちらもやりにくくて」

「お察しします。がんばってください」

「はい」




涼子は変な所で不器用だった。命は悪意ゼロの相手にさらりとひどいことを言われ、しょんぼり背中を丸めた。トボトボ執務室に帰ってゆく。




搭吉郎はボスを見送って憎めないキャラだと思った。


 

 


エピローグ

澪は涼子に救われたあと、ハーメルン本部に顔を出した。受付嬢と短いやりとりをすると、受付と入れ代わりに涼子が出てきてくれた。

「会いに来てくれたんですか?」

「はい」




澪はやって来てからまごついてしまった。本題に入る前に言わなければならないことがある。

「あの、涼子さん」

「はい?」

「帽子かぶってていいですか?」




澪は屋外用の帽子をかぶっていた。申し訳ないからといって屋内用の帽子では華美すぎる。今の彼女にはかぶれなかった。

 




涼子は気を悪くしなかった。首をかしげる。

「いいですよ? どうして?」

澪は帽子のつばをぎゅっと下に引っ張った。

「アトピーになっちゃったんです。顔が……」




涼子は合点したようだった。

「大変ですね。ストレスですか」

澪は説明した。

「確かにストレスですが、どちらかというと、安心した途端に……」




「アトピーってそういうのもあるんですか?」

「はい」

涼子は優しく笑った。

「じゃあ、これ以上悪くなりません。もう恐いことはありませんよ」




澪は母親にほめられた姉娘のような気分になった。しっかりしなければと思うのに、嬉しくて頬がゆるんでしまう。




彼女は気を取り直して手土産を出した。

「お礼させてください。これ、おまんじゅうです。皆さんで食べていただきたくて」




「ありがとうございます。では、お気持ちだけ。ハーメルンはいただきものは受け取れないのですよ」

「そうですか」

澪は丁寧な断りを聞いて手土産を引っ込めた。




涼子は言った。

「甘い物は心身を励ましてくれます。適度に食べればアトピーにもいいものではありませんか?」

「実はそうです」

涼子が微笑んだので、澪も嬉しくなって笑った。もっと甘えたかったが照れくさかった。

 




凪は三番窓口でお使いを頼まれ、十四番窓口に向かうため、総合待合室を横切っているところだった。




今日窓口担当でない涼子が窓口に出て、誰かと親しそうに話している。彼は興味がわいて話しかけた。

「涼子さん、お身内ですか」

「いいえ、友の会の被害者の方です」

凪は見知らぬ女性にピンときた。

「もしかして北川さん?」




「そうです」涼子は自分の客に言った。「澪さん、紹介しますね。彼は職員の帝君です」

「はじめまして。北川澪です」

「帝凪です」

凪は澪と会釈しあったあと、微笑みかけた。

「がんばりましたね」

「ありがとうございます」




凪はじーっと澪を見つめた。涼子は理由がわかって付け加えた。

「彼女の帽子は肌トラブルです。見逃してあげてください」




「なるほど、肌トラブル」

凪はぐいんと右に身体をかしげた。澪は左にそっぽをむいた。

「……。」

「……。」




凪はぎゅーんと左に上体を倒した。澪は右にそっぽをむいた。

「……。」

「……。」




凪は体勢を元に戻して片手で相手の帽子の先っちょをつまんだ。好奇心で口がとんがってしまう。




「帝君」涼子の声を聞かずに、ぺろっと1センチめくってしまった。すると澪はガバッと両手で帽子をおさえた。そのまま顔面を隠し、紙袋を持ったまま一目散に駆け出す。凪は脊椎で追いかけていた。

 




澪はハーメルン本館の長い廊下を走った。一般の通行人のどよめく声。澪は手土産をなくしたことに気がついたが、もう考えようとは思わなかった。

 




彼女の後ろからゴロゴロ音がして、ある瞬間、目の前に何かが飛来した。スケボーでジャンプを披露した凪だ。終わってもまだゴロゴロ乗りこなしている。

「他にスノボも出来るよ」

「キャアァァァァァァ!」




澪は方向転換して逃げた。しばらくすると背後で「北川さーん」。凪が宙返って上から降ってきた。

「おれ、こんなのも出来るよ」

「キャアァァァァァァ!」




澪は更に方向転換した。しばらく走ってると、後ろから凪が追い越して来た。カップ麺食べ食べたずねてくる。

「どうしていちいち悲鳴あげるの?」

「キャアァァァァァァ!」




澪は手近な相談室があったので飛び込んだ。内から鍵を閉める。空室だ。ここなら大丈夫。そう思って室内を見回すと、同じ部屋で凪が床に頭をつけて逆さでスピンする、あのダンスを披露していた。

「キャアァァァァァァ!」




澪は相談室を飛び出した。通行人をかき分け通路を走り、中庭に脱出した。背後で気配。振り返ると凪が際限なくバク転して澪を追いかけてくる。

「キャーッ! キャーッ!」

彼女は何メートルも逃げたのちにとうとう追いつめられて泣いていた。




 

「見えないから見たくなって、逃げたから追いかけただあ? 犬かおまえは!」

その後、凪は搭吉郎にしぼられていた。タイル張りの中庭に搭吉郎が周到に用意した座布団が敷かれ、二人が膝と膝を付き合わせた形。




 

澪は近くの白いベンチに涼子と座り、彼女の腕の中でギャンギャン泣いていた。帽子は乗せているが、顔が見えてる。澪は肌荒れを隠すことはとうに忘れているようだった。

 



ハーメルンは医療とも連携している。晴天に恵まれた日の中庭は、療養空間として解放されていた。地面はタイル張りだが緑の木と草花があふれている。

 



あちこちにボランティアのアーティスト、補助犬、セラピー犬の姿がある。リハビリ中の女性子供にとって、元気なセラピー犬は人気者だった。

 




凪は搭吉郎に言った。

「ちゃんとサービスもしたんだ」

「おまえの求愛のダンスは、男に面白くて女性にコワいんだ!」




「バク転、カッコ良かろ?」

「ありゃちょっとやるから憧れの的なんだ。20メートルも30メートルもバク転で女性を追いかける男は頭の中まで筋肉みたいでコワいんだよ!」

「ギエェェェェェ!」

説教は長いわ、澪の泣き声は盛大だわ、凪は弱り果ててしまった。




「帝君、安心して」その時涼子が言った。「彼女恐がってるんじゃないの。マジギレして泣いてるの」

「そうなんですか?」

「ギエェェェェェ!」

凪は見た目をほめられることはあるが、気になる娘の機嫌はいまひとつ取れなかった。

 



ハーメルン本部中庭に澪の怒りの泣き声がとどろいた。

 

(エピローグ終わり)