わたん坊の友達

1-1

葉月は無数の男たちから暴力を受けていた。

「あははははは、女は男の赤ちゃんポスト」

「女は男の赤ちゃんポスト」

「みっともないたれ乳! 便器と思って出しちまおうぜ」

「出した後の責任とるの、女だから!」

「ははははは、いい気味! 本人が悪いんだぜ」

「この淫乱」





葉月は乱暴を受けた日の夕方、歩道をふらふらと歩いていた。春は夕方も明るい。雨が降って来たが、さす傘はなかった。そうこうする内本降りになり、視界が悪くなった。




彼女は疲労がかさんで目眩を覚えた。途端に後ろからクラクションの音。彼女ははっと振り返った。豪速で走って来る車、車道にはみ出した自分ーー




彼女は雨の日のぬかるみに突っ込んでいた。誰かが彼女をがっちり後ろから抱いている。下敷きになったのも、泥んこになったのも彼の方。




突っ込んだ方向は歩道。間一髪、車は彼女達を避けて行った。

「危ないよ、おねえさん」

「ありがとう」

二人は上体を起こした。彼女は彼に詫びた。

「ごめんなさい、私のためにドロドロに」

「お怪我はありませんか」

「はい。私はーー」




彼は彼女と同世代。彼女が立つのを手伝ってくれた。彼女は彼と向かい合った時、その全身バランスの良さに目を奪われた。顔も端整。レインコートごと汚してしまって、申し訳なくなった。彼は怪訝そうな顔。

「傘、持ってないんですか」

彼女は濡れた長髪を額からかきよけた。

「家、近いから」





彼は近くに落ちていた傘を拾った。彼女を助けに出た時に放り出した物と思われる。彼は彼女にそれを差し出した。

「あげる」

「えっ」

彼は戸惑う彼女に傘を押し付けた。

「あげる」

「そんな、あの」

彼はきびすを返すと、雨の中走って行ってしまった。ーー不器用な所と敏捷な動きが獣の子供のよう。名前も聞けなかった。





朝成は表では若い社会人。人間便器の中に欲求不満を出し、雨降りでもスッキリして自宅に帰ることが出来た。両親の身体が弱いことと、妹が心配ということもある。朝成は経済的には自立していたが、独り暮らしについては考えているところだった。




彼がリビングに入ると、19歳学生の妹がTVを見ていた。

「七果、何のニュースだ」

「うん、赤ちゃんポストのことで政治家が難色を示してる」




朝成はこの話題には辟易としていた。

「おれも同じ意見だ。子捨て用のポストなんて受け入れられない。存在したらいけないんだ」




七果が反論。

「じゃあ女性はどうしたらいいの」

「社会が助ければいいじゃないか」

「社会が助けたって、望まない妊娠は望んだことにならないよ」

「子供が可哀想じゃないか!」




朝成が声を荒げると、七果が負けじと噛みついて来た。

「女性は可哀想じゃないの?」

「だって本人が子供作ったんだろ?」

「それこそ、女性だけの責任じゃないよ」




朝成は話にならないと投げ出した。

「そんなの男の知ったこっちゃねーよ。とにかく子供は捨てられたらいけないんだ。捨てる女が悪いに決まってるじゃないか」




朝成は翌週も仲間と組んで葉月を囲んだ。

「ははははは、やられる女が悪いんだ! 今週も便器にしてやるぜ」

「女は男の赤ちゃんポスト!」




葉月は間もなく妊娠を知った。どんなに努力しても流れなかったので、一年後、子供を赤ちゃんポストに送った。

(続く)




1-2

葉月が妊娠したことは周囲の人間が知っていたので、子供が消えると葉月に問いただす者が現れた。





彼女は返事を誤魔化していたが、殺人容疑をかけられそうになったので、身内にだけ赤ちゃんポストのことを話した。そこから噂は一気に拡がった。彼女は町で陰口を叩かれ、生きた心地のしない生活をおくることになった。





朝成は職場で同僚が見ない顔を連れて来たと思った。

「恭一、そいつは?」

「今日入った新人、緒形ロット」

ロットは朝成にぺこんと頭を下げた。

「よろしくお願いします」

「ロット? ハーフか」




朝成が問い返すと、ロットは苦笑いした。

「いいえ、両親が変わり者で」

「そりゃ苦労したな」

朝成は軽くロットの地雷を踏んでしまったことに気がついた。恭一が続いた。

「大丈夫、この身長と顔なら名前負けしてないさ。元気出せ」




内輪でロットを励ます会になった。しばらくしたあと、恭一が朝成に説明した。

「ロットは最初、おれの手伝いなんだ」

「そうか」

「それで話のわかる奴でさ」




恭一は朝成に耳打ちしてきた。

「仲間に入れてくれって言ってるんだよ」

「何の」

「ほら、便器のーー」

「ああ、なるほど」

朝成は合点した。

「上手くやろうぜ、ロット」

「はい、先輩」

二人は握手を交わした。





終業時間の後、朝成達は仲間同士で飲み屋に集まった。

「おい朝成、葉月の奴、赤ちゃんポスト使ったって」

彼らは彼女が自分達に不利な動きをしないか、四六時中監視し、情報を交換しあっていた。





「最低女だな」

「子供には何の罪もないのに」

「可哀想じゃないか」

「女が子供を愛さないなんて」

「おれ絶対葉月を許さない」

「なあ、ロット」

「何ですか、朝成先輩」




ロットは年上にかまわれやすく、嬉しそうににこにこしていた。

「お前、そんな色の目してたっけ」

「僕日本人です」

朝成は説明に困った。

「いやそうなんだけど、一瞬黄色だったみたいな、何だかフクロウの目みたいなーー」

「貧血の時って視界が黄色くなったりしますよ。先輩、疲れてませんか」

「ああ、そうかな」

ロットが優しく返して来たので、朝成は自分の目をゴシゴシ擦った。

(続く)




1-3

紗奈は仕事帰りの孝一に大事な話を持ちかけたが、町中で苛立つことになった。

「だから、子供ができたの」

「何だって」

「子供! 認知して」

「フザけるな」

「あなたの子です!」

「嘘だ。そんな誰の子かもわからない」




若い二人は破局した。彼女が路頭に迷うことになる。自宅に帰る途中、コンビニの駐車場で泣いてる時だった。

「おねえさん」





紗奈が気がつくと目の前に青年が立っていた。細くしなやかな、見事な容姿をしている。薄暗い時刻で一部の車が照明を付けていた。彼がそれを背中にすると、後光がさしているように見えた。

「その子ね、産んでいいよ。育てるの、あなたじゃないから」

「誰」





葉月は歩道橋の上から階下を見下ろして考え事をしていた。重力が下から呼んでる気がする。それもまあいい。彼女が風の中に飛んで行こうとした時だ。





誰かが後ろから彼女ををがっちりつかんだ。彼女は振り向いた。いつか雨の中、彼女を助けてくれた青年が立っていた。





彼が無言で手を放したので彼女は向かい合う形になった。レインコートのない彼は眩しかった。端正な顔立ちは俳優と言うより、神話の中の登場人物のようだ。好奇心にきらめく瞳はフクロウの子供を思わせた。出会った時と同じ夕方ーー





葉月は彼を見つめ、唇をわななかせた。

「あなた誰」

魂が叫ぶが、この感情をどうしていいかわからない。涙は安全な人間が流すもの。





途端にごうと風が吹いた。辺りから人気がなくなり、町は一瞬にしてゴーストタウン化した。




湿度が高く生暖かい風は、いつのまにかデジタル音。らせんに忍び寄る嵐のビート。彼の背中から巨大な翼が広がった。

「おれ、人間の男じゃないんだ。乱暴しないから安心して」





葉月は甘美な麻酔を打たれたかのように身動きが取れなくなった。危険を感じるのに、暴力を受ける気がしない。

「悪魔」

彼は甘やかな唇で微笑した。

「そうだ。名はロットバルト」

(続く)




2-1

日曜日の朝方、朝成は玄関に出た。

「どちら様ですか」

スーツの男性がベビーカーをひいて待っていた。その中で新生児がすやすやと眠っている。





朝成は来訪者を知っている気がしたが、誰だか思い出せなかった。謎の人物は弁護士の美咲だと名乗った。





「はい、この子ね、司っていいます」

朝成はつっけんどんに応対した。

「何なんですか」

「あなたの子です。葉月さんが産みました」





朝成は彼女に腹を立てた。

「本人が勝手にすればいいじゃないか。おれとは関係ないね」

「あなたとDNAが一致しました」




朝成はひるんだが言い返した。

「葉月とだって一致してるだろ」

「彼女、子供を認知しなかったんで

す」

「何だって」




朝成は冗談と思って聞き返した。美咲は説明した。

「法律が変わったんです。否認の権利は女性のもので、男性からはなくなりました」

「嘘だ!」





ロットは子供をベビーカーごと朝成になすって彼の家を出た。通り道の角で葉月が待っている。

「無関係の子役とはいえ、可哀想でしょ」

「あれね、魔法で動いてるマリオネット」

「そうなの?」




ロットは鼻高々でごちそうを口説きにかかった。

「葉月さん優しいな。バカにしてる奴らクズみたい。ねえ、一口いいかな」




葉月は人間の男性に恐怖するが悪魔のロットは役得だ。彼は彼女を物陰につれこんで本当に一口食べてしまう。ついでに彼女の心の傷も無き物にしておいた。





唇が離れると彼女は真っ赤っか。かなり可愛い。彼はもう一口、もう一口とやってる内に最後まで食べてしまった。





朝成はその後、すぐさま赤ちゃんポストを利用して自由を獲得した。しかしいつのまにか子供の噂がひろがり、行方をたずねる者が現れた。





朝成は殺人の容疑をかけられそうになったので、身内にだけ赤ん坊の居場所を明かした。するとその噂も一気に拡がり、彼にとって町は針のむしろと化した。





「男が子供を愛さないなんて」

「子供が可哀想じゃないか。何の罪もないのに」

「私、赤ちゃんポストだけは受け入れられない」

女性達はスクラムを組んで彼を迫害した。




ーー赤ん坊の否認権が女性に移動したニュースは日本中に拡まった。


(続く)



2-2

ロットが考えた通り、女性達はSEXに開放的になった。子供の人口は右肩上がり。男性には育児休暇が許されたが、職場復帰後、彼らが元のポジションを取り戻せる可能性は限りなく低くなった。





職場を休みがちなシングルファーザーの貧困化が進んだ。待機児童問題で苦しむのも男性。経済的理由から結婚を選択する者も出る。彼らは少し前まで一直線に追いかけていた未来の夢が、女性のものになった事を知った。





そして、女性が数の力で男性を囲む集団暴力も始まった。報道しても視聴率が取れないため、この問題にメディアは全くの無興味。





若い和正も被害者の一人だった。女性達から一度暴力を受けたら証拠品で脅され、何度も呼び出された。




「ははははは、男は女の赤ちゃんポスト。産んだら男になすればいいの」

「食べちゃおうぜ、こんなクズ男。ねこまんまみたいなもんだよ」

「ねこまんまで我慢してやるって言ってんだ。みっともない腹肉付けてさあ」





和正は泣き叫んだ。

「お願い、避妊させて! 避妊させて!」

「るさいな、ナマのが気持ちいいんだよ」

「私達、ガキは産みたい放題なの。育てるの、男だから」

和正は必死に懇願した。

「避妊させて! 何でもする」

「えー? じゃあどうしてもらおうかな」





国際人権センターから日本政府に対して、男性の人権を擁護するよう要請があった。日本はそれを真摯に受け止め、行動は何も起こさなかった。タカ派の女性政治家、岸田が一蹴する。




「また男性ですか。人権なんて有り余ってるのに、これ以上何が要るのですか。理解できない。日本は日本式でいきます」





一希は昼下がりに彼女の七果の家にお邪魔して、一緒にTVを見ていた。TVは赤ちゃんポストにまつわる報道をしている。七果はおやつの煎餅を美味しそうにかじっていた。




「また男性の人権の話かあ。男性よりまず子供でしょ。子供は捨てられたらいけないよ。そうでしょ、一希」

「うんそうだね」

一希は男性だったが、子供の人権を引き合いに出されると何も言えなかった。





七果は『まず子供』と発言しながら子供の人権のために活動したことはない。男性の人権に取り組みたくない言い訳に、特に助ける気のない子供を利用してるだけだ。一希は現代女性が過去の自分達と同じ言葉を遣った時、初めて汚いと思った。





朝成は逃げ場のない所に追い詰められ、女性集団に囲まれていた。

「ははははは、犯っちゃおう、こんな男!」

「人間便器と思って」




彼が飛び起きるとベッドの上だった。窓際のレースのカーテンが朝の風に踊っている。

「朝成さん、寝汗かいてる」




彼は千夏の家に泊まっていたことを思い出した。千夏は真剣に付き合っている彼女だ。彼女は彼より早く起きて、朝御飯の支度をしていたようだ。




「何だ、夢か」

彼は彼女が気を遣って持って来てくれた飲み水を一気に空けた。次に彼女が真面目な顔をしてベッド脇に座ったのに気がついた。

「お話があります」

「何だ、かしこまって」




彼女は自分のお腹を押さえた。

「赤ちゃんができたの」

「わあぁぁぁぁぁぁ!!」

彼は絶叫して彼女の家から脱走した。

(続く)



2-3

ロットは葉月を抱えて空中遊泳していた。

「魔界の綺麗どころに招待するよ」

「どんなところ?」

「清水が流れて、蒼穹の空が広がってーー白い花がいっぱいなんだ」

「素敵ね」




彼が雲間にさしかかると、人間が呼ぶところの“天使のはしご”が数えきれない程きらめいている。魔界は天界と分業しているだけで、どろどろした所ではない。





彼は目的地に着地すると、翼を収納して葉月を降ろした。彼女は群生する花の中で空を見上げて目を白黒した。




「ロット、暖かいのに雪が」

「雪じゃないよ。わたん坊」

「わたんぼう?」

「魔界の紋白蝶は雲の上で生まれて、綿にくるまって降ってくるのさ」




「地面に落ちたら踏まれてしまうでしょう」

「わたん坊は草木に吸い寄せられるんだ。成虫になるまで大事に大事に愛されるんだよ」

「いいなあ」




葉月は人間には夢みたいであろう話にため息をついた。彼は彼女に優しく微笑した。




「綺麗だろ。ここでは思っていること、何言っても責める人はいないよ。何せ悪魔の故郷だから」

「本当?」

「うん、遊んでおいで。思いっきり言いたいこと言って」




葉月は花の中に歩き出した。次第に笑顔になり、走り出す。最後に天使のようにはしゃいで笑い出した。

「あはははははは、産まなきゃよかった。産まなきゃよかった、産まなきゃよかったあ」





花畑の中でくるくるターンして、コロンと倒れこむ。その後は仰向け大の字になり、やっぱり笑っていた。



彼女のほっぺたも指先も、絵師がほんのり色づけしたようなピンク色。

「うふふ、産まなきゃよかった」




わたん坊と一緒に暖かな風が彼女の髪とスカートの裾をさらってゆく。幸福そうな彼女は重力と別れて、風にさらわれた所から溶けていってしまいそうだった。





彼は白い花束を作って彼女の所に持って行った。彼女の脇に腰かける。

「そうだね。葉月さん悪くないよ。おれはロットバルト、社会でも世界でもない」

彼は彼女に花束を贈って、その額にキスを落とした。




「限界だ」

宗方はキーボードから手を離した。

「私はこんな女性は書きたくない」

「書いて欲しいんだ、宗方さん。源氏賞作家のあなたなら出来る」





ロットは宗方の仕事場の隅に、彼とは対称的な腰掛け方で陣取っていた。使用方法とは反対向きに椅子にまたがり、背もたれに両腕を乗せるかたち。





歴戦の源氏賞作家は髭は剃っているものの、燃え上がるような癖っ毛だった。静かなライオンのごとき四十代。ロットは彼としばしのにらみ合いになる。





最後は作家の方が折れて目線を落とした。ーーロットは時々、真剣に遊ぶ。

「女と男、どちらが醜いか読者に比べてもらおうぜ」

(終わり)




後書き

今回の連載はおどろいたことに、女性読者様と同じくらい男性読者様が応援してくださいました。



共感してくださる男性に、大変ありがたく思っております。そして、愛を注いでくださった男性、女性、中間、全ての読者様にありがとうございます。




ロットは紗奈、千夏の事後処理もしているのですが、そこは書きません。今回の話は葉月にだけフォーカスしました。




葉月は自分の意思で子供を作ったわけではないので、『産まなきゃよかった』ではなく『産みたくなかった』が正解です。しかし、より憎悪される台詞をあえて使ってもらいました。



社会がサポートしてるだろ、子供が可哀想だろ、という外的圧力で女性の心は変わりません。彼女達は男性と同じ人間です。



私はアダルトチルドレンだらけの一家で育ちました。『産まなきゃよかった』よりもっと凄惨な言葉を日常的に聞いていたので、『産まなきゃよかった』で傷つく人の気持ちがわかりません。今回はその鈍さが武器になりました。



花畑の中の葉月を醜く描いたつもりはないし、その必要もありません。あえて美しく見せようとして、涙を流させるシーンも書きません。



全ての男性がそうとは思いません。しかし、葉月を憎んで醜く描きたくなったり、醜くないことを訴えるために涙を付け足したくなる人がいたとしたら、その人は男性ではないでしょうか。



ご覧くださった方々にありがとうございました。