エコー

1-1

ヘラがラケットで打ち返した球がゼウスの顎からアッパーするようにヒットする。ゼウスは仰向けに倒れて白目をむいてぴくぴくしていた。神だから死ななかった。しかし、ブロンドいい男が台無しだ。




白髪ショートヘアの医神、アスクレピオスは蛇の絡んだ杖がトレードマークだったが、今日はそれを模したペンダントを着けて、ラケットを持っていた。美しく温和な彼が同世代の彼女をなだめる。

 「ヘラ、彼の浮気はもうビョーキなんだ。許してあげなよ」

 「私、怒ってなんかないもん」




ヘラはギリシャ若人テニスサークルで汗を流した後、更衣室で着替えた。彼女は栗毛を頭の高いところでお団子にしていたが、隣のヴィーナスは、ブロンドのセミロングを下ろしていた。ヴィーナスは言った。

 「ヘラ、キャラぱん卒業しなよ」

 「だって好きなんだもん」

ヘラは言い返す。ヘラのパンツは赤地に白抜きで巨大なパンダキャラクターが描かれていた。




ヘラは着替え終わって飲み物を買いに行った。そこへ短髪のヘラクレスが明るく話しかけて来る。

 「ヘラ、今日赤いパンダぱんつなんだって?」

 「誰が言ったの!?」

 「エコーから聞いたよ」




ヘラは事実を確認するため、サークル内を歩いてエコーを見つけ出した。長い赤毛のエコーは、女性ではなく、よりにもよって成人男性相手にペラペラまくしたてていた。




 「ヘラは今日、赤いパンダぱんつなんだって!」

 「なるほどね!」

 聞き手がもっともらしく唸っている。ヘラはキレた。

 「エコー、お前のようなおしゃべりは、相手の言葉を繰り返すしかできないようにしてやる!」




そうしてヘラの呪いにかかったエコーは、自分から相手に話しかけることができなくなってしまった。


1-2

エコーは悲劇に泣きながら、翌日昼、腹ごしらえをすることにした。



街で店を探すと、店の外にも青空テーブルを出しているハンバーガーショップがあった。彼女は青空テーブルでランチを始めた。




隣の席には、たまたまサークルで一緒のナルキッソスが座っていた。小鹿色の髪の彼はいつものように鏡と熱く語らっている。自分が大好き。

「おれ、かっこいいな! マジ惚れ惚れする! こんなイケメン他にいないよ」




彼女はランチを泣きながら済ませて、やはり泣きながら持ってきたノートパソコンを叩き始めた。




ナルキッソスは自分の顔の手入れを始め、顔面にパックシートを被せた。パックしてる時だけ静か。しゃべるとシワになるから。




彼女は泣きながらクロスワードで遊び始めた。ナルキッソスはパックを剥がし、髪の毛のセットを始めた。「おれ、かっこよすぎだろ!」



彼女はウォークマンをつけた。泣きながら真っ赤な髪を燃やすように振り乱し、激しくヘッドバンキングを始め、一人を満喫していた。その時だった。

 「ねーちゃん、かわいいじゃんか。一人?」

 「かわいいじゃんか。一人?」

彼女は窮地に陥った。鼻ピアスを着けた、大きく柄の悪い男が絡んで来る。彼女は相手の言葉を繰り返すだけで、拒否ができない。




 「気が合うな。ちょっと一緒に遊ぼうぜ」

 「ちょっと一緒に遊ぼうぜ」

彼女は辛くてべそをかいた。男につれていかれそうになった時だ。




 「そこ! 目障りだ」

ナルキッソスが割って入って、男を突き飛ばした。エコーは巻き込まれてしりもちを付いた。ナルキッソスは言った。

 「今忙しいんだ。集中してんだから邪魔をするな」

言いながら、やっぱり髪の毛をセットしている。

 「なんだと? 小僧、やるのか」




男がナルキッソスに組みついた。ナルキッソスが男を足技で撥ね飛ばす。自惚れているだけあって、細マッチョは伊達ではないようだ。男は度肝を抜かれて逃げて行った。

 




ナルキッソスはエコーに言った。

 「大丈夫?」

 「大丈夫」

 「じゃあね」

 「じゃあね」

 そうして彼はまたテーブルにつき、携帯用の鏡の前で叫び始めた




 「おれ、どうしてこんなにかっこいいんだろう。痺れる!」

彼女は彼が眩しくて、心臓がバクバクするのを感じた。



2-1

エコーは翌週、デパートの催事場でナルキッソスを見つけた。巨大な柱が鏡張りになっており、彼はその前に立って自分を褒め称えていた。

 「おれいい! かっこよすぎ!」

エコーは近づいて行って、繰り返した

 「おれいい! かっこよすぎ!」

 



ナルキッソスは振り返った。

 「お前もおれと同じか?」

 「お前もおれと同じか?」

 「実はそうなんだ。おれは自分が大好きなんだ」

 「おれは自分が大好きなんだ」

 「気が合いそうだな!」

 エコーは嬉しくなった。

 「気が合いそうだな!」




 「一緒にコンビ組もうか」

 「コンビ組もうか!」

 「それにしても口の悪い奴だなあ」

 「口の悪い奴だなあ!」

 「おれも人の事言えないけど!」

 「人の事言えないけど!」

 二人は一瞬で仲良しになった。




 彼は鏡の前でポーズをとった。

 「おれ、かっこいいなあ!」

 「おれ、かっこいいなあ!」

彼女が真似をしたので、彼はポーズに動きをつける。彼女はそれに続いた。鏡の前で楽しいパフォーマンスが始まる。




デパートの催事場は見物客が集まり始めた。ナルキッソスとエコーが、一子乱れぬそっくりダンスを展開したからだ。

 「おれ、かっこいいぃぃぃぃぃぃぃ!」

 「かっこいいぃぃぃぃぃぃぃぃ!」

しかも変な台詞つき。二人は揃って互いのダンスを真似続けた。




ゼウスは観衆の遠巻きから二人を見ていた。催事場は最後の喝采にわいて、観衆がちらほら解散を始める。




タオルで汗を拭くナルキッソスの後ろでエコーが仰向けに倒れて目を回していた。ヒューヒュー喉を鳴らしている。男性と同じパフォーマンスを続けたら、女性がスタミナ切れするに決まってる。




ゼウスは近づいて行ってエコーのそばにしゃがんだ。ナルキッソスは身繕いに忙しい。誰も見ていない。ゼウスはエコーのロングスカートの裾をつまんだ。

 「ゼウス」

 「ヘラ!」




彼は恋人の出現にうろたえた。ヘラもダンスを見ていたようだ。彼は尻込みした。

 「誤解だ。ちょっとかわいいと思っただけだ!」

 「あんたって男は!」

 「ごめんなさい!」

ゼウスはヘラにケツをはたかれて、催事場をあとにした。




目を回したエコーはその日、ナルキッソスの背中に担がれて自宅まで届けられた。彼女は幸福な気持ちでナルキッソスを見送った。その時声がした。

 「そんなに彼が好きなの?」

 「うん」




彼女はいつの間にか近くにいたアスクレピオスと、自分の返事に驚いた。アスクレピオスはいつもの杖を持って、大人っぽい天使のように微笑していた。

 「呪い、無効になったよ。君、ちっとも不幸にならなかったもんね」


2-2

二ヶ月後、ギリシャで、あるアイスダンスペアが話題になる。

「おれ、かっこよすぎ!」

「ええかげんにせいや!」

うぬぼれる男性と突っ込みを入れる女性のコンビ。メディアは彼らの話で持ちきり。そう、ナルキッソスとエコーだ。




アイスダンスショーが終わると、ナルキッソスがスタミナ切れしたエコーを担いで自宅まで送った。




「本当にその彼氏でいいの?」

アスクレピオスがエコーの家の近くに立っていた。

「ゼー。」

エコーは満たされて答えた。スタミナが追い付くまで時間がかかりそうだ。夕暮れ時のカラスが阿呆、と一声。彼女は風呂にでも入ろうと思った。



(終わり)


後書き

ヘラって可愛い女性だと思います。

お読みいただきありがとうごさいました。