一貴は犯罪者の逮捕に燃える若き警官だ。彼は子供時代から体育会系だが、小学校の時だけ和太鼓もやっていたので、先月非番の日に町内の祭りに駆り出された。警官らしく見栄えのするボディのため、舞台の花形をやることになった。



 今は9月。木曜夕方、職場に台風がぶち当たった。彼は今夜泊まりで勤務する予定だったが、日勤だったとしても、帰る足がなくてどのみち泊まったかもしれない。



 休憩時間におやつのキムチカップ麺をうっかりひっくり返してしまい、片付けに追われた。窓が開けられないためキムチのにおいが部屋に充満した。一貴は周囲の助けも借りて、ペーパータオルでざっくりと汚れをふき取ると、使い古しのオレンジのハンドタオルで要所要所を拭く。



 後は空調頼みだ。スープは制服についてしまうし、今日はついていない。台風が窓をガタガタゆすると落ち着かない気分になるので、動物本能として群れたくなる。自宅の嫁さんの笑顔が恋しい。



 キムチ事件がひと段落して電話番の仕事をしていると、着信を受けた。小学校教師の紀ノ川とかいう女性が、担任クラスのいじめを通報してきた。しかも生徒の親から苦情を受けただけで、被害の証拠は取ってないという。あまりに他力本願な話に一貴はキレた。

 「あんた教師だろ! 子供を守ったらどうなんだ」



 9月の頭に台風が二回やってきたが、大きな被害は免れた。台風明けの酷暑の土曜午前、仁はいつもの青い制服を着て、ジョーカー本部で窓口の仕事をしていた。彼は第三部隊隊員で身体資本の方。



 隊員は体育会系だったとしても、窓口勤務のために傾聴やカウンセリングを学ぶことになる。デスクワークアレルギーに無理強いする話ではない。細かい事務ができなくても、カウンセリングスキルがあればそれだけで窓口はこなせるし、何より本人の心のバランスが取れる。体育会系でもいじめが起こりにくくなるメリットが発生するのだ。ジョーカー隊員は合理的な理由から文武両道の仕事をすることになっていた。



 仁のところに最近有名になった宮間洋子がやってきた。30代後半で母子家庭の母親だが、見た目に苦労は一切にじませない人だった。いつも薄化粧で女優のように透き通った肌、引き締まったウエスト、豊かにウェーブしたロングヘア。シックな服装にパステルグリーンの100均ブローチとモスグリーンのパンプスを合わせており、センスの良さを感じる。



 彼女は瞳に醜穢な憎悪の色を浮かべて言った。

 「一体どういうこと? 子供を返して」

 「駄目です」

 仁は冷静に突っぱねた。彼女が食ってかかる。

 「幸助はいじめに遭っていたの! 私は親で危害を加えていない。ジョーカーはどうして幸助を私から取り上げてしまったの」



 「いじめが解決しないからです」

 「私のせいじゃない」

 「どんな風に対処しましたか」

 「教師に文句言った!」

 「加害者を刺激したら被害者がどうなるかわかりますね?」

 「だってまだ犯罪かどうかわからなかったから」

 「そうですか。じゃあ、解決するまで頑張ってください」



 洋子はスポーツの経験者だ。若いころ何か習っていたのだろう。彼も同胞なので、彼女の物腰やしぐさで理解していた。しかし生活保護世帯で、体形や美肌、センスのいい服を維持する執念はどこから来るのだろう。健康的なダイエットはお金がかかる。習い事はできないだろうし、自宅でできるとしたら腹筋だろうか。

 仁は彼女が悔しそうに歯ぎしりして去って行くのを見送った。



 「彼女、ダンサーでしょ?」

 次に窓口に来た若い相談者は笑った。仁は首を傾げた。

 「どうしてそう思われるのですか」

 「ダンスシューズ履いてましたよ」

 「そうですか? そんなにキラキラして見えなかったけど」

 「キラキラしてるのは安いんです。プロはさりげないデザインを好むんですよ」

 「よくご存じですね」



 相談者は自慢げに笑った。容姿はごく普通だが、笑顔と八重歯に愛嬌のある魅力的な女性だ。

 「父が社交ダンスの先生だったんです」

 仁は感心して笑顔を返した。

 「それはかっこいいですね! どうぞおかけください」

 「ありがとうございます」



 座って向き合う。

 「6番の木村佳代さんですね。今日はどのような御用件でしょう」

 「私、手品が得意なんです。何かボランティアの仕事ありますか?」

 「ありがとうございます」



 仁は同じ日の正午前、必要書類のコピーを作っていた。その時、本部入り口からやはり最近有名になった山倉小学校若手教師、紀ノ川由衣が入ってくるのが見えた。彼女の体調は大丈夫だろうか。



 「若鷺、できたか」

 「はい」

 彼はデスクで待っていた大柄ーーというより巨体の壮年隊長、雨風塔吉郎のところへコピーを持ってゆく。

 「紀ノ川さん」

 同じ部隊隊員、御門凪の声で、仁たちは窓口の方に見入ってしまった。隊長も仁も、気になるのは同じ。



 今の時間は凪が窓口勤務の一人。仁や由衣と同じ20代の青年で、仁と同じ細身長身、いろんな顔を持っている。何かの化身かあやかしのように艶っぽくターゲットを痺れさせる時もあれば、今回のように甘ったるく親切な役もできる。由衣と向かい合っている凪の後姿が見える。



 「どうぞおかけください」

 「ありがとうございます」

 二人が席に着いた。由衣は華奢な体つきだが、ヤマトナデシコ風のロングヘアがメンテナンスされずにガタガタ。光輝くような洋子と対照的に、着飾ってる余裕がないことよくわかる。腕時計と淡い紫のビーズのブレスレットがアンバランスで、しかも指先はカラーチョークで汚れている。



 由衣は言った。

 「幸助君に会わせてください」

 「何故ですか」

 「いじめ被害を詳しく聞きたいのです」

 「加害者から聞いてください」

 「彼らは無実だって言い張ってます」

 「どうして無条件で信じるの」



 由衣がはっと息をのんだ。凪は窓口と割り切ってフレンドリーな態度はしていないようだが、多分確かに笑っているだろう。由衣に優しくささやいていた。

 「被害者も無条件で信じて」

 由衣はびっくりした顔のまま、席を立って去って行った。

第一章 由衣

 その後、由衣が6月の学校アンケート用紙をシュレッダーにかけていたことが暴露された。幸助はそこでいじめ被害を訴えており、彼女が事実を隠滅していたことが明らかになる。



 由衣は9月、洋子から苦情を受けた後、警察に通報していたが、周囲に形だけ取ったものと見なされ激しくバッシングされた。

 由衣はマスコミと生徒の親たちからつるし上げられ、火だるまのようになる。



 11月平日早朝、彼女は人目を忍んで山倉小学校裏口前にたどり着いた。表玄関を使うとマスコミの餌食になる。音を立てないで外履きから中履きに変えようとしたら、カバンから紫のファイルが落ちてしまった。マスコミが物音だけで押し寄せる。彼女がもみくちゃにされた時だった。



 翼の生えた人物が現れたかと思ったら、由衣を抱えて羽ばたき、現場を数十メートルも離脱した。彼は小学校屋上の上でくるりと旋回し、由衣に笑った。

 「Hi彼女!」

 「誰」

 「オレは悪魔のパイバトラー、人間界の美しい女性を物色してるところさ」

 そしてまたくるりと旋回すると、屋上の上に降り立った。彼女も下ろされる。



 彼女は立ったまま下を向いて言った。

 「私、助けてもらう資格ないんです」

 「上等だ。悪魔は性悪女が大好物だよ」

 パイバトラーは細身長身、白蛇のように妖艶な容姿で、悪どく微笑した。首と腰から下は獣毛に覆われ、その上から晩秋の装備をまとっていた。顔の一部とわずかにはだけた胸に真紅のボディペイントを施して、全身をローズピンクの装飾品で飾っている。ウエストポーチが小粋。



 彼は人懐っこい獣のように、鼻づらを由衣の方に接近させてくる。彼女は一瞬、臭いをかがれているのかと思ったが、いやらしい感じはしない。彼は臭いというより彼女の気配にうっとりしているよう。異性を口説く時の獣のしぐさだ。

 「おいしそうな唇してるね。一口いいかな」

 「一口?」

 彼女が恋の歌に痺れてうろたえた時だった。



 おっとりして緊張感のない男声が割り込んでくる。

 「おい、聞いてるか。隊長が肉まんおごってくれるって言ってるぞー」

 パイバトラーが声の方に振り向いていきり立つ。

 「おいそこ! オレの知り合いなら制服で出てくんじゃねーよ!!」

 「全くお前は、年間予算の何パーセントを使っているんだ」



 屋上の縁から声の主。建物の側面にはしごでもついているのか、彼は屋上に上がると由衣の方に歩いてきた。パイバトラーと同じに細見長身。絵画の中の若い聖職者のように透き通った肌で、まぶしい容姿。青い制服に曙色のペンダントをしている。



 彼はぺこんと頭を下げた。

 「手荒ですみませんね、由衣先生。僕はジョーカー隊員、若鷺仁です。こっちは」

 「あーっ、言っちゃダメーっ!!」

 パイバトラーが動揺してでかい声で遮る。



 若鷺はパイバトラーに向かって口をへの字に曲げた。

 「何でだよ」

 「女の子の夢を壊すんじゃねーよ」

 「夢を見てるのはお前一人だ。由衣先生、こいつ本当は」

 「ダメ―っ! ダメ―っ!!」



 騒ぐパイバトラーの額を、近づいた若鷺がぺちんと叩く。

 「先生が知りたがってるだろ。名乗れ」

 パイバトラーは由衣の方を見て、お菓子を取られた子供のように悲しそうに告げた。

 「御門凪」



 悪魔の神秘は一瞬で霧散した。御門がコスプレ屋さんだったことがわかる。若鷺と御門のやり取りは、さながら風紀委員といたずらっ子。



 由衣は御門と初対面でないことに気が付いた。以前窓口を担当していた青年だ。コスプレと芝居が見事すぎて、今までわからなかった。

 ジョーカーは武装福祉組織。シェルターを多く有している。



 彼女は尋ねた。

 「どうして助けてくれたんですか」

 「弱いものいじめ嫌いだもん」

 御門は子供のように口を尖らせた。

 「私、どうしたらいいですか」

 「考えて」

 彼女は肩を落とした。王子様の幻想は虫が良すぎたようだ。ジョーカーは気まぐれの人助けに唸るほどのセット代を遣うらしい。彼女が御門に背中を向けた時だ。




 「先生、忘れ物」

 由衣が振り返ると、御門はウエストポーチから薄い膜のようなものを取り出し、彼女にかぶせた。――と思ったら見えたのは一瞬で、出された膜は影も形もなくなってしまった。



 由衣がびっくりしてキョロキョロしてると、御門は言った。

 「ジョーカーのマジックシートだ。これから先は、誰もあなたの身体を傷つけられない。だから頑張って」



 空からヘリが飛んで来て屋上に着地した。逆巻く風の中、二人の青年は彼女に笑うと、それ乗り込んで去って行ってしまった。


第二章 問題のありか

 翌日の職員室。朝のホームルームの時間が迫っている。こちらは二階で、下は一階昇降口のため、窓から生徒たちが校舎に流れ込むのが見える。今日は晴れて、夏日があった先月と違って冷たく乾燥している。由衣が席を立って、なくなった文具を探していると、洋子が乗り込んできた。

「教師が悪いんじゃないか」



 加害者親の平山典子ものり込んできた。ちょっと太めで洋子と対照的に母性的な体形をしている。

 「どういうこと? うちの子が加害者にされたんですよ? あんた子供を信じないわけ?」



 そこへ制服の警官が乱入してくる。

 「教師が悪いんじゃないか」

 由衣の通報を受けた警官の声と同じだった。キレすぎて暇すぎて、学校に怒鳴り込まずにはいられなかったようだ。



 同僚教師達はフリーズしている。学校代表者は三人を止めるふりをしているが、強く出られない。由衣をかばうと自分が標的になるからだ。由衣は三人に詰め寄られ、腰の後ろを自分の机に阻まれ退路をなくしていた。三人が口をそろえる。

 「あんたが悪いんじゃないか」



 その時、職員室の入り口がはじけるように開いた。先日の若鷺が青い制服姿で躍り込み、たちまち由衣を窓際へ連れ去る。

 同時に由衣がさっきいた場所近くの天井がばくんと開いた。そこからもう一人、同じ制服姿の青年が降ってきて、由衣を追おうとした三人の前に立ちはだかる。



 「御門さん」

 「こんにちは!」

 御門は若鷺の背中越しの由衣を振り返ると、花が咲くように笑った。今回は悪魔の恰好はしていないがやはり艶っぽくて、女性のあやかしもこうかと思わせる。ローズピンクのバスケットシューズがデザイナーのよう。



 警官が御門に食ってかかる。

 「あんた何者だ」

 「ジョーカ隊員」

 「教師をかばうなら、お前は日本人の敵だ」

 「別にいいよ」



 御門が涼しそうに答えると、典子が彼に憎悪のまなざしを向けた。

 「紀ノ川に責任を取らせろ」

 「どうして」



 御門の問いに洋子が答える。

 「だって教師が悪いんでしょ」

 「うんそうか。あんたらの分担は何だ。一人ずつ言ってごらんよ」

 御門が軽いノリで笑うと、三人は口をパクパクするだけの金魚になった。御門は言った。

 「そうか、わかった。じゃあね」



 若鷺が窓を開ける。下は昇降口の平らな屋根だが、由衣たちの死角にグライダーが二機置いてあった



 若鷺は由衣を連れて屋根の上に出ると、グライダーに取り付けてあったヘルメットとゴーグルをつける。そして手早く由衣にも同じ装備をさせグライダーにくくると、自分も乗り込む。続いた御門はもう一台に乗り込み、両機がジェットを吹く。由衣はたちまち青年二人と上空に舞い上がった。




 12月、冷たい雨の降る月曜朝、洋子はジョーカー本部に出向いた。窓口担当は制服姿の若い女性隊員、倉田。洋子は母子家庭のため働いてることにする必要があったので、今日は休みで来たと説明した。本当は数年前の幸助の熱を理由に、二年続いた仕事をやめていた。 



 当時の上司は子供の熱くらい何だと言った。しかし彼女は仕事より子供を取ると宣言して退職した。彼女は幸助を選んだのだ。実家から独立しないのも、幸助にお金の苦労をさせないためである。



 洋子は倉田に食ってかかる。

 「だって教師が悪いんでしょ」

 「あなたが教師を嫌いなのはわかりました」

 「そういうこと言ってるんじゃないの!」

 「何が言いたいのですか」

 「教師が悪いんだって言ってるの」

 「嫌いなのはわかりました」

 話にならない。洋子が幸助に会うことはできなかった。



 帰宅して夕食の時間、洋子は実母のハツの目の前で、食材の乗ったパステルグリーンの皿を炊事場に捨てた。ハツと口論になる。

 「こんなまずいご飯、食べられないって言ってるの!!」

 「あんたが家事をやったらいいじゃないか」

 「私はもうじきダンス講師の資格を取るんだ!!」

 「ずっと同じこと言ってるでしょ」

 洋子は激高した。

 「家族なら役割を果たしたらどうなんだ!!」



 翌朝の空は機嫌が悪そうだった。近隣住宅からクリスマスソングのリハーサルが聞こえてきた。子供の声が楽しそうだ。洋子が幸助との共同部屋の窓を開けると、斜め向かいの住宅の窓から屋内の小さな姉妹が見えた。彼女達は仲良く歌いながらツリーの飾りをしているところだった。



 洋子は自分の家族がクリスマスのサプライズイベントをしてくれるのを待ち続けていたが、毎年裏切られていた。今朝もハツと口論。幸せな家庭が欲しい。



 洋子は学校に出向くつもりで朝食が終わった直後からおしゃれをしていたが、結局13時になってしまい、昼ご飯を作らないで遊んでいるハツと口論になる。ハツをやっつけて出発し、学校についた時はすでに夕方。洋子は職員室に乗り込む。

 「いじめを解決しろって言ってるんだ」

 「しかし、被害の証拠がないのです」


 

 出てきた50代校長、坂本の釈明に、洋子は怒りを爆発させた。

 「あんたらのせいで私はジョーカーに幸助を奪われた! 疑いをかけられたんだ!! あんたらのせいで! 早く責任を取れ」

 「教師に治安を維持する能力はないんです」



 坂本の頭は寂しく、体形は太っていないがお腹だけ出ており、いかにも弱者っぽいところに腹が立った。被害者は洋子の方だ。彼女は叫んだ。

 「子供を守る仕事があるでしょ!」

 「それは神話です」



 洋子は癇癪を起こした。

 「いいから何とかしろ! 幸助を返せ! 幸助を返せ! うぉぉぉぉ!」

 叫んで近くの机を蹴倒す。

 「幸助を返せ!! 教師が悪いんじゃないか!!」

 彼女は学校関係者に取り押さえられ、校舎から出された。


第三章 モンスター

 学生は冬休みに入ったが、ジョーカー通常営業。この日の窓口業務は第四部隊。隊長の小夜は 40代で若くはないが、その分知識、経験、情報がある。体力に関しては部下に任せておけばいい。



 彼女はいつもの制服で朝からデスクの仕事に追われたが、そこから窓口組の部下が見えた。豊満な小夜と対照的に、若い隊員、臼井美晴は細身長身ですらりとしている。山倉小学校の校長、坂本がやって来たので対応していた。



 「幸助君に会わせてくれ」

 「どうしたんですか」

 「いじめ被害を詳しく聞きたいんだ」

 「加害者から聞いてください」



 坂本は弱り果てている様子だった。彼が苦労して返答をひりだす。

 「彼らは無実だって言い張るんだ」

 「じゃあ、被害者も無条件で信じてください」

 「だってまず話し合わないと」

 「加害者や大人と話し合いましょう」



 坂本は力なくその場を後にする。玄関から出ようとした時、急いで入ってきた女性客とぶつかり、しりもちをついていた。

 


 プルシャンブルーのスカートの女性は彼に頭を下げてその場を去ったが、坂本はその後、何かに気か付いて、あわてて本部のトイレに逆戻りしていた。多分、ルージュかマスカラがシャツに付いてしまったのだろう。



 次に美晴のところに50代の男性がやってきた。小夜の知っている警察幹部、大杉だ。さすがに見事な体形をしている。

 


 警察はジョーカーに圧力をかけられない。何か希望があるなら一般人と同様、窓口で話し合うしかない。


 

 美晴の控える窓口には、今日生けたばかりの花も見える。青紫の冬の花にカスミソウがゴージャス。大杉のシックなスーツとよく合っている。彼は言った。



 「幸助君に会わせてくれ」

 「どうしたんですか、」

 「いじめ被害を詳しく聞きたい」

 「加害者に聞いてください」

 「まだ容疑者だ。警察が調査に利用できるのは被害者だけなんだよ」

 「解決を被害者に依存しないでください」

 「そんなこと言っても、どうしたらいいんだ」

 「大人が話し合って解決してください」

 彼は悔しそうな顔をして席を立った。帰っていく姿も坂本と違って立派だったが、ジョーカーを思い通りにするのは難しいだろう。



 やはりシャキッとしない天気の水曜午前、小夜は本部窓口対応側の詰め所に出向いた。今日の担当は塔吉郎配下の第三部隊だが、小夜は別の案件に対応してやって来ていた。

 


 窓口付近のサーモンピンクのパンフレットを取りに行くと、第三部隊の花形、御門凪が坂本の相手をしていた。


 

 小夜は関与しないふりをしたが、立ち止まって現場に見入ってしまう。凪の前で本音を隠せる人間はあまりいない。坂本は必死の形相で訴えた。



 「被害者親がモンスター化してたまらないんだ。子供を解放してくれ」

 「モンスターがたまらないなら、授業も妨害されるし校内侵入禁止にすればいいでしょう」



 坂本が食い下がる。 

 「猛烈に頭の回転が速いんだ。論破されてしまう」

 「親のモンスター化を、どうして子供が解決しないといけないんですか」

 「ええい、うるさい。もう努力したくないんだ。子供はあんなに愛されてるじゃないか。安全だって言ってるんだよ」

 凪のけろりとした対応を前に、坂本は結果に急ぎ始めた。



 小夜の目の前で凪の黒瞳が、坂本の世界を犯すように光った。

 「あなた方を苦しめるような親が、子供に安全だったと思ってるの?」

 「それを考えたら、学校はもうモンスターから逃げられない。だから幸助君が愛されてる物語で自分をだますんだ」

 「騙したいだけ騙したらいいよ。でも幸助君は返さない」

 



 白蛇の皇妃のように微笑む凪の前で、坂本は余裕がなさそう。

 「幸助は愛されてるんだ」

 「僕は違うと思います」

 「でもそうなんだ!」

 「相手の意見が邪魔なら自分で納得してればいいでしょう」

 「うぉぉぉぉ!! どうしたらいいんだ!!」

 坂本は自分の中の醜い欺瞞を赤裸々に語った後、絶叫して頭をかきむしった。



 年始の月曜午前、小夜、塔吉郎、その部下で構成された、第三、第四部隊混合班は、いつもの打ち合わせ通り、山倉小学校に待機していた。職員に扮した職員室潜入組と、ジョーカー制服のままの建造物潜伏組に分かれている。



 小夜達に気づかず洋子がやってきて、職員室の中に乗り込んでいく。洋子が由衣に攻撃。

 「あんたが全部悪いんだ! 責任を取りなさいよ」


 

 ジョーカー裏方の活躍で、職員室の入り口と窓の一角が同時に開く。建造物潜伏組として職員室前の廊下天井裏に控えていたのは寺内典也。第四部隊隊員で腕が大きく、握力自慢。彼は天井裏から現場に飛び込んで行って、由衣を抱えると、窓から脱出。セットされていたワイヤーをつかんで、そのまま素晴らしいスピードで屋上まで巻き取られて行った。

 


 実はワイヤーは彼の胴にも装備されているのだが、彼が片手のスーパー握力だけでワイヤーにつられていったように見える。派手好きの凪が演出したらこうなった。

  

 屋上には学校関係者に無断で混合班のテントやグライダーが装備されている。


第四章 どちらも許さない

 仁はいつもの制服姿で液晶の中の洋子を見つめていた。彼女は雨の降る深夜、自宅リビングのテーブルに突っ伏して泣いていた。

 


 今日は特に寒く、彼女の近くに雪だるまのプリントがしてある赤いレッグウォーマーが見えたが、彼女にとりにいく元気はないようだ。



 そこに青年悪魔が現れた。洋子は驚いて少し顔を上げる。



 彼の容姿は月下の狼のよう。下がり調子の獣耳と大きな爪を持ち、首のあたりと腰から下が黒い獣毛に覆われている。そしてボルドーの冬装備に、暖かそうなマントを羽織っている。全身にローズピンクの装飾品。ボルドーとローズピンクだけではどぎつくなるのを、ホワイトの素材で抑えている。人間の男性だったらデザイナーのよう。



 「おねえさん、どうしたの」

 彼女はしゃくりあげながら答えた。

 「幸助に会いたい」


 

 彼は彼女のために高い身長を少しかがめ、甘ったるくささやいた。

 「いじめは解決したの?」

 「幸助がいないと解決できない」

 「そうか。じゃあ頑張ってね」

 リビングの窓が音もなく開き、悪魔はひらりと出て行った。



 仁は洋子の自宅近くに停めてあるトラックの中で、液晶画面を閉じた。近くに悪魔コスプレ姿の凪が仕事を終えて座っている。ジョーカーは盗撮、住居改造、不法侵入、何でもやる。暴力問題を扱うほかに、特定の組織と戦っているからだ。ジョーカーの舞台演出力は兵器のレベルと言われている。




 一月中旬火曜日、仁は制服姿でジョーカー本部窓口勤務。待合室に設置されているTVは消音設定で字幕を読むものになっている。来客の中には TVが苦手だったり、聴覚過敏のハンディを持った人もいるからだ。そしてTVは来客側に向いているが、窓口に控えていた仁にも大体の内容はわかっていた。



 山倉小学校のいじめは宮間幸助がジョーカーに保護されたことで問題化し、被害者が自殺する前の珍しいケースとして、メディアで取り上げられることになった。教育機関や警察代表が会見で追及を受ける。彼らは説明を余儀なくされた。彼らはこう言う。

「被害者と話し合えなければ解決できません」



 仁のところに渦中の山倉小学校校長坂本と、教頭吉川がやってきた。すっかりやつれている。

 坂本は仁の前で席に着くと呆然と発言した。

 「子供がいないと解決できない」

 坂本の隣に吉川が並んだが、彼も万策尽きて呆然としていた。

 「被害者がいないと解決できない」

 ここで情に流されては幸助を守れない。仁は彼らに言い渡した。

 「大人だけで解決してください」

 


 坂本は言った。

 「そんなこと言ったってどうしたらいいんだ」

 仁は穏やかに諭した。

 「あなた方ね、いじめ問題も、モンスター被害も両方幸助君に解決させようとしてるよ」

 「だって被害者が黙ってくれたら傍観者は助かるんだ」

 哀れな吉川が本音を漏らした。仁はうなずく。

 「そうだろうね。でも許さない」


 

 一月下旬。仁は山倉小学校職員室前の廊下の天井裏で建造物潜伏組として、制服で隠密待機していた。例によって職員室潜入組は職員に扮している。



 洋子は午前中にやってきた。坂本たちと同様、彼女も万策尽きているのだろう。また授業妨害だ。彼女はメジャーではないが老舗のブランド服をまといメイクを徹底している。



 彼女は由衣に攻撃しようとした時、足元に金属バットを見つけた。それを取って由衣を殴打した。

 「解決しろよ」


 

 由衣が飛んでっいった先には加害者親の平山典子が待っていた。ほぼ部屋着姿で化粧をあまりしていない。やってきた理由は洋子と同じだろう。典子もバットを持っている。由衣を殴打。

 「いじめなんか存在しない。解決するな」

 


 由衣が飛んでった先には、今度は制服姿の警官が待っていた。以前、凪の前で金魚になった人物だが、彼も学校に殴りこまないではいられなかったらしい。バットを持っている。由衣を殴打。

 「教師の仕事だろ。制裁しろよ」


 

 飛んでった由衣を、典子が殴打。 

 「教師が子供を信用しないわけ? 制裁するな」



 職員室の入り口と窓が全開する。廊下上の天井から飛び出した仁が、現場に躍り込んで由衣を回収。反対の窓からは、校舎壁面に待機していた凪が獣人スタイルで飛来する。



 凪は宙に浮いたまま高速旋回。洋子たちの前で着地したかと思うと職員室がうなって振動し、凪の足元で、クレーターができる。獣人が見た目の20倍の体重を持っているような演出。怪我人は出ていないが職員室はめちゃくちゃだ。

 仁は職員室の隅で、由衣の背後から彼女の二の腕を支えて立つ。



 「悪魔」

 「そうだよ」

 呆然としている洋子に凪は微笑した。彼は妖艶な白蛇の瞳。

 「教師に対して、解決すること解決しないこと、両方を求めてるね。これを支配の一種、ダブルバインドという。教師を支配して思考停止に追い込んでいるのはメディアと社会だ」



 洋子は凪に噛みついた。

 「そんなこと言ったって、どうしたらいいの」

 「いい方法があるよ」



 凪は腰から氷の剣を抜くと、一瞬で由衣にとびかかって斬りさばいた。由衣がどさりと倒れる。

 「わぁぁぁぁぁ!! 神様! 神様が死んじゃった」

 典子は悲鳴を上げて、床の上にくずおれた。

 凪は洋子たちを振り返って氷の女王のように微笑した。

 「そんなに憎い神様なら殺してあげる。これからは神様なしで解決を考えるんだね」



 洋子はすがるように叫んだ。

 「そんなこと言ったってどうしたらいいの」

 「それはね、今まで由衣先生が必死になって考えてきたことだよ」

 凪が動かない由衣を担ぎ上げ、窓から飛び降り、仁も続く。二人とも空中でワイヤーに巻き取られて現場を去った。




 その日の正午、仁は本部病室のベッドから少し離れたテーブル席に座り、名店のクロワッサンを口にしたままウトウトしていた。この時間までベッドで気を失っている由衣の付き添いで、今は食後のおやつの時間。病室のヒーターの温度がちょうど良すぎてこたつの中のにゃんこの気持ち。おなかいっぱいで使命を忘却し、うたたね。



 人の気配に気が付いて目を上げると、由衣の横たわったベッドの脇に凪が立っている。いまだにコスプレ姿ときた。

 「御門さん」

 由衣が目を覚ましたようだ。凪は片手に獲物をひらつかせてご機嫌な様子。

 「これね、ジョーカーのマジックソード。痛くなかったでしょ?」

 凪はほめてほしくてそこにいるのか。仁はクロワッサンの美味しさに満たされて、カクっと夢の中に入った。

第五章 勧善懲悪

 洋子は標的の由衣を失った。最初は途方に暮れたが、相手は一人ではないことに気が付き、その後は山倉小学校と闘いの日々を送っている。二月の金曜午前、自宅でインターホンが鳴った。彼女が玄関に出ると、美しい青年がコート姿で立っている。



 「どなた?」

 「僕、幸助だよ」

 「どちらの幸助さん?」

 「あなたの息子の幸助だよ」



 洋子は耳を疑った。

 「私の息子は小学生です」

 幸助は説明した。

 「いじめが発覚した後の大人の動き方は、被害者子供にとってとても不利なんだ。僕、ジョーカーの科学力で大人になったんだよ」



 洋子は息をのんだ。心臓が高鳴る。幸助が帰ってきた? 

 「本当? 本当に幸助なの?」

 「うん、お母さん、いじめが解決してないんだ。母さんの力で助けて」



 洋子は期待した感動の対面はなかったため、あっさり冷めた。幸助はジョーカーで知恵をつけてきただけでかわいくなくなっている。しかし彼の裏切りはいつもの事。手慣れた洋子はせいせいして幸助をあざ笑った。

 「大人になったんだから、あなたが解決したらいいの」

 「大人になるとね、あなたが汚いことも僕、わかるんだ。どうして被害者の分担考えるの」

 


 「だってまだ犯罪かどうかわからないから」

 「あなた、追及してきたジョーカーに対して、子供の言うことだから犯罪かどうかわからなかったって釈明したよね。僕が大人になっても犯罪かどうかわからないのはどうして」

 


 本当に知恵をつけている。洋子は育った幸助が死ぬほど憎くなった。小さいときは桜貝みたいな唇をしていたのに、大きくなったらゴミが詰まったみたいな目をしている。

 「屁理屈を言うんじゃない!!」



 幸助は冷静に答えた。

 「それはね、大人の屁理屈のこね方だよ。質問に答えて」

 「証拠がなかったら、私だって動きようがないじゃないか」

 「動かなくてよかったんだ。どうして教師に苦情を言ったの?」



 洋子は癇癪を起こした。

 「黙れ黙れ黙れ!! とっとといじめを解決してこい」

 「どうして」

 「だって困ってるのは私じゃなくてあんたじゃないか。あんたが解決しないで誰がするの」

 「あなたの分担は何」

 「解決の仕方を指導してるじゃないか」

 「それ、馬鹿でもできるんだよ」

 「うぉぉぉぉぉ!」

 洋子は下駄箱を蹴飛ばした。

 「なんて口叩きやがる! お母さん許さないわよ!!」

 「僕、子供じゃないから母さんが怖くない」

 


 洋子は花瓶を幸助に投げつけた。幸助の頭部にヒットすると、彼は花瓶と一緒にガラスの像のように粉砕した。人間の死に方じゃない。

 


 洋子の背後で気配がした。振り返ると和洋折衷の服装をした人物が立っている。彼もさっきまで目の前にいた、大人になった幸助だった。



 花魁のように前帯を締めており、西洋風の舞台化粧をしている。海外のデザイナーが作った和風作品のようだ。着物の男物女物の区別がなくカラフルで派手。前帯を締めた幸助は言った。



 「そう来ると思った。あなたは子供の言うことだから犯罪を信じられなかったんじゃない。僕が子供に見えなかったんだ」

 「違う」

 「被害者が家庭に問題を持ち込んだ時点で、親子関係は傍観者と被害者の関係になる。あなたは僕の存在を消そうとした。被害者が邪魔だったんだ」

 「違う」

 洋子は金切り声で否定した。



 「僕が嫌がってるのに、どうして教師に連絡したの」

 「私に多くを求めないで」

 「求めてない。戦って欲しくなかったんだ」

 


 彼女は幸助に負けたことがない。今度も勝たなければならなかった。何歳かけ離れていようと、手向かってくるなら最強の敵と思って全力で倒しにかかる。

 「戦わずに死ねと言うのか!」

 「そうだよ。守ることは負けること、死ぬこと。戦うなんて誰でもできる」



 洋子が叫ぶ。

 「あっそう! 誰でもできるんだ! じゃあ戦いなさいよ! あんた戦えるなら戦いなさいよ!」

 「言葉の上げ足を取ったね」

 「あんたが取ってるんじゃないか」

 「落ち着きなよ」

 「感謝がわかってないんだ。これはもう折檻だね!」

 「――あなたね、いじめ問題の前からそういうこと、やってるよね」



 瞬間、洋子は頭から水をかぶっていた。天井の一部が開いている。上に誰かが入っているようだ。和洋折衷衣装の人物は言った。

 「今のやり取りから分析するとね、幸助君がどんなに冷静で天才的なネゴシエーターでも彼が『僕、満たされてます』と発言しない限り、あなたは彼を倒そうとするだろう。AC回復カウンセリングを受けてください。あなたが更生しないなら彼は返さない」




 小夜の率いる第四部隊は彼女の指令で洋子の宅に突入した。小夜も隊員と同じ重装備で屋内に飛び込み、一喝する。

 「私刑同好会、マーズ! 同行願おうか」

 


 踵を返した和洋折衷衣装の人物を、部下の倉田がとっ捕まえて投げ技で吹っ飛ばす。同じく部下の臼井が装備していたハンマーで舞台セットを粉砕し、また別の隊員が裏方を引きずり出す。マーズはジョーカーの真似をするだけの趣味集団だ。マーズ対ジョーカーで乱闘になる。



 小夜が部下に呼びかける。

 「洋子さんは」

 「いません!」

 小夜は舌打ちする。

 「しまった」

第六章 守ること

 洋子は偽幸助に糾弾され、着替えもそこそこにジョーカー本部に走った。

 「幸助! 幸助と話し合わないと」



 正午過ぎ、天候は彼女の味方をした。彼女はジョーカー本部の職員更衣室に潜入し、清掃員の制服を見つけた。そのまま変装し、中庭で遊んでいた幸助を見つけて捕まえる。彼の持っていたトマト色のボールがあさっての方向に転がって行った。洋子は本部を飛びだすと、ジョーカー隊員を振り切り逃走した。



 本部に警報が鳴り響く。仁は驚いて席を立った。コンピューター液晶を見ていた女性隊員が叫ぶ。

 「幸助君、誘拐されました!!」

 今日の出動待機は第三部隊。仁たちは制服にいつもの装備でトラックに乗り込む。ジェットグライダーやバイク班と一緒に洋子を追った。




 仁、凪は隊の幹部ではないが若手の要人なので、隊長、塔吉郎と同じトラックで移動した。乗った荷台の中で、やはり若手の女性隊員が子供用のコートを抱えている。仁が訊ねる。

 「亜希、それ幸助君の?」

 「だと思うの。中庭で遊んでて、暑くて脱いじゃったんじゃないかな。天気はいいし、毎年暖冬のレベルが上がるし」

 「まあ、裸にしておくような親じゃないと思うな」

 「こんなにしわついちゃって」

 

 

 亜希がコートをはたいた時、何かがバサッと落ちた。

 床を見た隊員たちが一瞬騒然とする。

 「え、マジックシート……」

 青くなったのは塔吉郎も同じ。

 「幸助君、今、守るものがないのか」



 塔吉郎は同じく話を聞いて総毛立っているドライバーを振り返る。

 「大森、飛ばせ」

 「今ので限界まで出してます」

 「飛ばさないと、お前を八つ裂きにする」

 「はい!」

 普段温厚な隊長が本気になると、誰も逆らえない。



 時刻は14時。洋子は年下の知りあい、30代前半の中松夫婦の住む一軒家に転がり込んだ。


 

 周辺は簡素な住宅街。洋子は修二の妻、太めで気弱な栞の方の弱みを握っている。栞が姑の悪口を言っていたので、逆らったら姑にばらすと脅したら、それ以降あっさり言うことを聞くようになった。更に夫婦には子供がいなくて面倒くさくない。



 洋子は中松家で幸助と好き勝手やるつもりだった。彼女はエアコンの利いた一番いい部屋で、手荷物を置いて羽を伸ばした。買ってきたケーキの箱をテーブルで開ける。ケーキをコーティングしているストロベリーチョコレートとトッピングの美しさを目で楽しんだあと、幸助に話しかける。

 「いじめは解決したんでしょうね」

 「まだ」



 洋子は怒りに駆られて幸助をぶん殴った。

 「あんたが悪いからだよ」

 その時、ガラスが粉砕する音がして、一面の視界はゼロになった。

 「栞、修二!!」

 洋子は動転して呼んだが、家主の声はなかった。



 仁は煙幕の炸裂した現場へ飛び込み、すぐさま幸助を救助、仲間の隊員に預け、次の仕事の待機に入る。

 


 煙幕がきれてゆくと洋子の正面に下向きで片膝をついた凪が待機している。

 「幸助?」

 「はい、宮間幸助です」

 凪は立ち上がって顔を上げた。



 幸助が成人のはずはないのだが、凪が演技中に幸助といったら幸助になる。洋子には凪が九歳の幸助に見え、彼女はその甘い熱夢から逃げられない。



 今回、凪は隊員制服のまま。時間があれば和装で出る時もあるが、私服や制服でも十分効果はある。洋子は壁のS字フックにかかっていた布団叩きを取り上げた。ジョーカー側に、いつものマジックウエポンを加害者の足元に転がしておく時間はなかった。しかしこういう場合も一応、想定の範囲内だ。



 「あんたが悪いんじゃないか!!」

 洋子には布団叩きで凪をぶん殴った。凪の方はもちろん防御をする。

 「とっとといじめを解決してこい」

 「できない」

 


 凪の答えに洋子は癇癪を起こした。

 「うおおおお!! 私に何しろって言うんだ!! あんたの分担じゃないか! なんで私ばっかり社会から責められるんだ。あんたが悪いからでしょ!」

 絶叫しながら凪を殴り続ける。




 凪は全身の服の下を超薄型防具で固めている。防御に使っているマジックシートは戦闘能力のある者は完全には守らない。頭部が比較的安全というくらいで、後は凪の体術の力量次第となる。本当に危ない時は周辺を固めている隊員が守る。



 暴力現場を撮影したりICレコーダーを取るのと同じことになるのだが、幸助を犠牲にするわけにはいかない。今回ジョーカーには手痛いが、凪が犠牲を払うことになる。


第七章 洋子の世界

 仁は洋子が力尽きて布団叩きを取り落としたのを確認した。現場にもう一度出て行く。小道具の水色バスタオルを片手に、彼女に訊ねる。

 「気が済んだ?」

 彼女が振り返る。

 「あなた」

 「また会いましたね。ジョーカー隊員、若鷺です。そしてあなたの前にいるのは幸助君じゃない。よく見て。うちの御門だよ」



 洋子は甘い熱夢から自由になり、幸助と思った相手がそうでないことに気が付いたようだ。彼女の目の前で、凪が深い息をつきながらわき腹を抑えて座っている。演技中は感じないと本人は語っているが、終わったらそれなりに痛いだろう。



 「私、私――」

 うろたえた洋子に仁は優しく言った。

 「落ち着いて。あなたは幸助君に危害を加えていないんだ。御門も仕事でやってる。誰もあなたを責めないよ。あなたをそこまで怒らせているのは何」



 洋子の目が泳いだ。非難されるのを恐れているのだろう。

 仁が待っていると彼女はおぼつかなげに安全を確認し、目を落として答えた。

 「いじめが解決しない」

 「どうしたらいいの」

 「解決してほしいの」

 「誰に」

 「教師に」

 「教師って誰」

 「紀ノ川由衣」



 仁は部屋の隅にあった椅子を中央に移動した。洋子を促して、二人で凪に背を向ける。仁は持っていたバスタオルを彼女に渡した。

 「じゃあ、これ持って。今ここで紀ノ川をイメージして、椅子にタオルをぶつけながら、彼女に言いたいことを言って」

 洋子は警戒心を解いて爆発した。

 イメージの由衣に向かって罵詈雑言を吐く。

 しばらくすると力尽きる。



 仁は尋ねた。

 「これからどうしたい?」

 「いじめが解決しない」

 「どうして」

 「幸助が解決してくれない」

 「じゃあ、幸助君をイメージして、さっきと同じように言いたいこと言って」



 洋子が固まる。仁は言った。

 「これは暴力じゃないんだ。イメージの幸助君だから、言いたいこと言ってもいいんだよ」

 そこで洋子が爆発する。

 イメージの幸助に罵詈雑言をぶつける。

 しばらくすると力尽きる。仁は尋ねた。



 「これからどうしたい?」

 「いじめが解決しない」

 「どうして」

 「――私、人に頼ってばかりいる」



 仁は穏やかに訊ねた。

 「じゃあ、どうするの」

 「幸助に会いたい」

 「どうしたらいいの」

 「――助ける」



 仁はうなずいた。

 「じゃあ、そうしよう」

 洋子は異論を唱えた。

 「そんなのおかしい。悪いのは教師と加害者でしょ」

 「じゃあどうするの」

 「責任を取ってもらう」

 「それは相手がいないと成立しない幸せだね。あなたはどうなりたいの」



 洋子はしばらく考え、悲しそうに訴えた。

 「幸助と一緒にいたい」

 「どうして」

 「幸せだから」

 「それも相手からもらう幸せだね。あなたはどうやったら幸せになるの」



 洋子は小さな声でつぶやくように答えた。

 「私、一人じゃ幸せになれないの」

 「どうして」

 「誰も愛してくれないから」

 「愛さなかったの、誰と誰」

 「お母さん」

 「じゃあ、目の前に、お母さんをイメージしてみて。どんな感じ?」



 こうして洋子の、長い長いカウンセリング期間が始まった。日本では親の子供連れ去りは誘拐犯罪とは見なされない。だから洋子が幸助をさらった後も親子関係は続く。洋子が望めば幸助は密会を断れない。

 

 

 社会から糾弾された洋子は必ず幸助に復讐する。洋子に非があったとしても、幸助を助けるためには彼女をカウンセリングするしかない。



 区切りがつくと、仁は洋子を他の隊員にあずけて凪の方に駆け寄った。

 「急所外したか」

 「外してるよ」

 仁は仲間の隊員と一緒に凪のボディチェックをしてダメージを確認した。むっつりしている凪に応急処置した後、本部に戻る。

 


 凪は普通に武装する時もあるが、役者をやったり舞台装置考えたりして、芸術を武器のように操る。成人男性だが子役、女役のできる希少な人材で、第三部隊の花形。ジョーカーには医療、報道、芸術方面の人材が多数所属している。



 ――数日後、洋子の被害者の一人、中松栞のカウンセリングも始まった。


第八章 証拠

 3月上旬、学校の三学期が終了した頃、仁は早朝仕事前に制服を整え、ジョーカー本部児童保護施設の屋内庭園にいた。

 


 「できたぁぁぁぁぁ!」

 第四部隊隊長の五十嵐小夜が同じ制服姿で叫んで、先日知り合いになったボランティアスタッフの木村佳代と抱き合っている。その前に、幸助が生真面目な顔でちょこんと立っている。



 小夜は手品マスター佳代から特別講習を受けて、技が成功した所だった。



 小夜は幸助と仲良くなりたいらしい。幸助は素直な子だったが冷静沈着でこまっしゃくれて、小夜の熱血がから回っている。



 仁はその日の15時、制服姿のまま本部をバイクで出発し、幸助のいじめ加害者宅に出向いた。



 赤レンガ色の屋根の一軒家、平山家の縁側で、美しい容疑者少女がグラスのドリンクをストローで飲んでいた。



 色はフルーツ・ラテのようだが、湯気が立ってところを見るとミルクセーキではないだろうか。陽気もいいし、彼女は庭の花を観賞しているのかもしれない。仁は門扉の前から話しかけた。



 「平山優香ちゃん」

 「誰」

 「ジョーカー隊員、若鷺仁だよ」

 「ジョーカーって何」

 「武装福祉組織。くだけた説明すると、区役所のおにーさんの仕事と少し似てるよ」



 仁は懐から写真付きの身分証明を出して見せたあと、もう一度しまった。

 「君に用があって来たんだ。お庭に入っていいかな」

 「いいよ」

 


 門扉は開いていた。仁が少し中にお邪魔すると、優香はドリンクを縁側に置いてそばにやってきた。

 「何の用」

 「被害報告があったんだ。君、宮間幸助君をいじめた主犯だって聞いてるよ」

 優香は楽しそうに笑った。

 「濡れ衣だよ。暴力の証拠を出して」



 仁はあっさり切り返した。

 「じゃあ、君は暴力が存在しなかった証拠を出して」

 「ええ?? 無条件で信じてくれるんじゃないの??」



 仁は、驚いてのけぞった優香の前にしゃがむと、彼女の両方の二の腕を取って優しく笑った。

 「冤罪ってね、ただでは信じてもらえないんだよ」

 「それは大人の話でしょ」

 「いじめ被害者は、大人と同等に被害の証拠を求められて苦しむんだ。加害者だけ子ども扱いされるのはおかしいよ」



 優香が息をのむ。かわいらしい顔が突然老醜を帯びて引き歪んだ。門扉にくっついていたインターホンを自分で押して、保護者を呼び出す。

 「ママ! ママ!」

 典子が玄関からエプロンで両手を拭きながら出てくる。

 「どうしたの、優香」



 優香は母親のもとに走ってしがみついた。そして憎々しい瞳で仁を振り返る。

 「私、いじめ加害者の濡れ衣を着せられたの。もう大人が信用できない!!」

 典子は仁を敵と判断したらしく、挑むように歩み寄ってきた。優香もついてくる。

 「ジョーカーね。あなたはどういう人?」



 仁は膝を伸ばして立ち上がる。

 「若鷺と申します。優香ちゃんのお母さんですね。お子さんの潔白を証明したいなら、いじめが存在しなかった証拠を出してください」

 「あなた子供を信用しないわけ?」

 「しません」

 仁はスパーンと答えた。



 典子も虚を突かれてのけぞった。

 「ええ?! どうして」

 「教師じゃないからです」

 仁は肩の荷も軽く、余裕で答えた。



 典子がうろたえる。

 「そんな! どうやって証拠なんか出したらいいの」

 「それはね、今まで被害者が必死になって考えてきたことです」



 「あぁぁぁぁん、お母さん助けて。このお兄さん、怖い!!」

 優香が芝居がかった泣き方をする。仁は優香に優しく笑った。

 「優香ちゃん、君は信じてくれる両親と、仲間の力でいくらでも潔白の証拠を出せるはずだ。君の今までの正しさを、君の小さな世界の外で証明してごらん」



 仁は平山家の門扉を出る。近くに停めていたバイクのところに戻ると、見知らぬ男性が拍手で近づいてきた。

 「さっすがお兄さん!!」

 「あなた誰」

 「森田芳樹だ。優香のクラスメートの父兄!!」



 芳樹は洋子や典子と同世代の30代後半に見える。ちょっと太めで小柄。頭髪が寂しい。彼は道路側から典子たちを見て面白そうだった。

 「典子は鼻もちならないと思ってたんだ。ジョーカーにやられていいざま!」

 「あなたは何をなさっていたんですか」

 「やられてる幸助君を心配してたんだ。毎日心を痛めていたよ」

 「それで何かしたの?」

 「心配してたって言ったじゃないか。彼はどうしてやり返さないのか、僕も毎日悩んでいたよ」

 「それで何が言いたいんですか」

 


 芳樹はこぶしを握ると息まいて叫ぶ。

 「加害者は厳罰化されるべきだ」

 「僕、その話には乗らない」

 


 仁はヘルメットをかぶり終わると、芳樹をほぼ無視してバイクに乗り込んだ。

 「ええ?! どうして」

 賞賛されなかった芳樹がうろたえている。

 「動物は制裁する時だけ結束するんだ。制裁なんて誰でもできる。あなた子供を守るために何をやったの」

 仁は口をパクパクしている芳樹を置いて発車した。本部に戻る。


第九章 時の架け橋

 千恵子は横浜関内で小さな弁護士事務所を営んでいる。50代ではさすがに体型は崩れているが、心はシャープがモットーだ。

 


 三月金曜日はいつもの仕事だったがお洗濯日和というやつだ。昼休みの散歩中、電気屋の前を通りかかると、ショーウィンドウの中のデモンストレーション用のTVの前に、人だかり。通行人が立ち止まって一斉に非難している。

 「おい、この報道ひどすぎるだろ」

 「何で被害者の親を糾弾してるんだ」



 TVの中で、女性記者が最近有名になった一般男性、清川真司に容赦なく訊ねていた。

 「安全だって、誰が決めたんですか」

 「仕方がなかったんだ」

 「答えてください。どうして安全だと思ったのですか」

 「子供の言うことだから、まだ犯罪かわからなかったし」

 「子供がどうなったらあなたは犯罪だって信じましたか?」

 真司はむせび泣き始めた。真司の息子はいじめ被害に苦しんだ後、自殺未遂で重傷を負っていた。観ていた千恵子は息をのむ。



 メディアが真司を守っているので知られていないが、真司は学校に行きたがらない息子、幸也を物置に監禁し、服従するまで竹刀で殴っていた。事件後、幸也は保護されている。



 千恵子は若い頃いじめ被害者家庭の暴力についてメディアに訴えていた。

どのくらい危険なことか知っていたので女性弁護士数名で力を合わせた。

 


 しかし結局、政治的な力が働いて、全員無き者とされてしまっていた。今は落ち目の弁護士である。

 


 いじめ問題は、家庭、学校、警察、政治が成熟するまでは、大人の組織的児童虐待だ。教師がヒーローだったら解決する話ではない。



 こののち、被害者家庭のドキュメントドラマが放映された。モデルは十中八九清川家だったが、次の自殺者を出さないために個人情報は伏せられていた。

 いじめ加害者より、被害者親の方が怖い。

 「学校に行けぇぇぇ!!」

 「いやだぁぁぁぁ!!」

 泣き叫ぶ被害者子供を親が竹刀で殴る。

 


 視聴者から反感を買っているのに、同じようなメディアは続いた。世論と他のメディアがどう反応するか、千恵子は静観している。



 東京で記者の仕事をしている美乃梨は黙っている女ではなかった。女優のような容姿はしていなかったが、彼女は顔だけのTV花形とは違う生き方をしていた。



 彼女はジョーカーの報道部、芸術部と組んでドラマ原作を描いている源氏賞作家、南雲蘭に取材を試みる。50代の南雲より20歳も若いひよっこだが、なめられてたまるかと思った。しかし喧嘩を売るようでは記者とは言えない。冷静に勝ちに行く。



 手続きを取って約束の金曜朝になる。美乃梨は南雲の自宅に赴き、面会した。来客用の和室に通され、二人向かい合って座る。和室の窓から、行き届いた美しい庭園が見えた。桃色の五月の花がキラキラとうるんでいる。

 


 南雲は未婚で、無化粧、痩せてはいるが座る仕事をしているため体形は崩れていた。背中は猫背。一見、女を捨てた人のようだったが、燃え上がる癖っ毛とまなざしが、ある側面から見ると女戦士のようだった。



 美乃梨は質問した。

 「どうして傷ついた人を、更に追い詰めるのですか」

 「子供が家庭に暴力の問題を持ち込んだ時点で、親子関係は被害者と傍観者の関係になります。傍観者は被害者を黙らせ、犯罪をなかったことにするためなら何でもする」

 「そんな家庭ばかりではありません」

 「報道で、被害者家庭の暴力問題をタブー視していると、子供は次々と死にますよ。だから私は原作を書きます」



 6月の月曜日、千恵子は仕事の昼休み中雨降りを楽しみながら、おろしたての白い傘とレインブーツで商店街を歩いていた。今日は大好きな和菓子店の新商品、“時の架け橋”をゲットした。



 アジサイを模した和菓子はたまに見かけるが、時の架け橋は色彩豊かな上に、その表面に銀の雨粒が光っている。雨粒は一体何だろう。砂糖菓子だろうか。もう食べるのがもったいない。事務所で楽しむ予定だが、今から夢いっぱいの気持ちである。

 


 そばで誰かの声がした。

 「先生」

 彼女が素通りしようとすると彼は言った。

 「千恵子先生のことです」

 


 彼女は驚いた。先生なんて呼ばれたのは、もう何年前だろう。振り返った彼女の前で、蠱惑的な容姿の青年が青い制服姿で微笑している。

 「僕、ジョーカー隊員の御門凪って言います」

 


 その時乾いた突風が吹いて、雨は一度に止んでしまった。千恵子は和菓子の安全は死守したものの、彼女も青年もほかの通行人も、突然のことに傘を手放してしまった。町中の傘が色とりどりに空を舞っている。千恵子の足元の水たまりに、虹。



 ――のちに千恵子はジョーカー芸術部隊、ドラマ制作陣と手を組むことになる。



(終わり)