ヘラがラケットで打ち返した球がゼウスの顎からアッパーするようにヒットする。ゼウスは仰向けに倒れて白目をむいてぴくぴくしていた。神だから死ななかった。しかし、ブロンドいい男が台無しだ。
白髪ショートヘアの医神、アスクレピオスは蛇の絡んだ杖がトレードマークだったが、今日はそれを模したペンダントを着けて、ラケットを持っていた。美しく温和な彼が同世代の彼女をなだめる。
「ヘラ、彼の浮気はもうビョーキなんだ。許してあげなよ」
「私、怒ってなんかないもん」
ヘラはギリシャ若人テニスサークルで汗を流した後、更衣室で着替えた。彼女は栗毛を頭の高いところでお団子にしていたが、隣のヴィーナスは、ブロンドのセミロングを下ろしていた。ヴィーナスは言った。
「ヘラ、キャラぱん卒業しなよ」
「だって好きなんだもん」
ヘラは言い返す。ヘラのパンツは赤地に白抜きで巨大なパンダキャラクターが描かれていた。
ヘラは着替え終わって飲み物を買いに行った。そこへ短髪のヘラクレスが明るく話しかけて来る。
「ヘラ、今日赤いパンダぱんつなんだって?」
「誰が言ったの!?」
「エコーから聞いたよ」
ヘラは事実を確認するため、サークル内を歩いてエコーを見つけ出した。長い赤毛のエコーは、女性ではなく、よりにもよって成人男性相手にペラペラまくしたてていた。
「ヘラは今日、赤いパンダぱんつなんだって!」
「なるほどね!」
聞き手がもっともらしく唸っている。ヘラはキレた。
「エコー、お前のようなおしゃべりは、相手の言葉を繰り返すしかできないようにしてやる!」
そうしてヘラの呪いにかかったエコーは、自分から相手に話しかけることができなくなってしまった。
エコーは悲劇に泣きながら、翌日昼、腹ごしらえをすることにした。
街で店を探すと、店の外にも青空テーブルを出しているハンバーガーショップがあった。彼女は青空テーブルでランチを始めた。
隣の席には、たまたまサークルで一緒のナルキッソスが座っていた。小鹿色の髪の彼はいつものように鏡と熱く語らっている。自分が大好き。
「おれ、かっこいいな! マジ惚れ惚れする! こんなイケメン他にいないよ」
彼女はランチを泣きながら済ませて、やはり泣きながら持ってきたノートパソコンを叩き始めた。
ナルキッソスは自分の顔の手入れを始め、顔面にパックシートを被せた。パックしてる時だけ静か。しゃべるとシワになるから。
彼女は泣きながらクロスワードで遊び始めた。ナルキッソスはパックを剥がし、髪の毛のセットを始めた。「おれ、かっこよすぎだろ!」
彼女はウォークマンをつけた。泣きながら真っ赤な髪を燃やすように振り乱し、激しくヘッドバンキングを始め、一人を満喫していた。その時だった。
「ねーちゃん、かわいいじゃんか。一人?」
「かわいいじゃんか。一人?」
彼女は窮地に陥った。鼻ピアスを着けた、大きく柄の悪い男が絡んで来る。彼女は相手の言葉を繰り返すだけで、拒否ができない。
「気が合うな。ちょっと一緒に遊ぼうぜ」
「ちょっと一緒に遊ぼうぜ」
彼女は辛くてべそをかいた。男につれていかれそうになった時だ。
「そこ! 目障りだ」
ナルキッソスが割って入って、男を突き飛ばした。エコーは巻き込まれてしりもちを付いた。ナルキッソスは言った。
「今忙しいんだ。集中してんだから邪魔をするな」
言いながら、やっぱり髪の毛をセットしている。
「なんだと? 小僧、やるのか」
男がナルキッソスに組みついた。ナルキッソスが男を足技で撥ね飛ばす。自惚れているだけあって、細マッチョは伊達ではないようだ。男は度肝を抜かれて逃げて行った。
ナルキッソスはエコーに言った。
「大丈夫?」
「大丈夫」
「じゃあね」
「じゃあね」
そうして彼はまたテーブルにつき、携帯用の鏡の前で叫び始めた
「おれ、どうしてこんなにかっこいいんだろう。痺れる!」
彼女は彼が眩しくて、心臓がバクバクするのを感じた。
エコーは翌週、デパートの催事場でナルキッソスを見つけた。巨大な柱が鏡張りになっており、彼はその前に立って自分を褒め称えていた。
「おれいい! かっこよすぎ!」
エコーは近づいて行って、繰り返した
「おれいい! かっこよすぎ!」
ナルキッソスは振り返った。
「お前もおれと同じか?」
「お前もおれと同じか?」
「実はそうなんだ。おれは自分が大好きなんだ」
「おれは自分が大好きなんだ」
「気が合いそうだな!」
エコーは嬉しくなった。
「気が合いそうだな!」
「一緒にコンビ組もうか」
「コンビ組もうか!」
「それにしても口の悪い奴だなあ」
「口の悪い奴だなあ!」
「おれも人の事言えないけど!」
「人の事言えないけど!」
二人は一瞬で仲良しになった。
彼は鏡の前でポーズをとった。
「おれ、かっこいいなあ!」
「おれ、かっこいいなあ!」
彼女が真似をしたので、彼はポーズに動きをつける。彼女はそれに続いた。鏡の前で楽しいパフォーマンスが始まる。
デパートの催事場は見物客が集まり始めた。ナルキッソスとエコーが、一子乱れぬそっくりダンスを展開したからだ。
「おれ、かっこいいぃぃぃぃぃぃぃ!」
「かっこいいぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
しかも変な台詞つき。二人は揃って互いのダンスを真似続けた。
ゼウスは観衆の遠巻きから二人を見ていた。催事場は最後の喝采にわいて、観衆がちらほら解散を始める。
タオルで汗を拭くナルキッソスの後ろでエコーが仰向けに倒れて目を回していた。ヒューヒュー喉を鳴らしている。男性と同じパフォーマンスを続けたら、女性がスタミナ切れするに決まってる。
ゼウスは近づいて行ってエコーのそばにしゃがんだ。ナルキッソスは身繕いに忙しい。誰も見ていない。ゼウスはエコーのロングスカートの裾をつまんだ。
「ゼウス」
「ヘラ!」
彼は恋人の出現にうろたえた。ヘラもダンスを見ていたようだ。彼は尻込みした。
「誤解だ。ちょっとかわいいと思っただけだ!」
「あんたって男は!」
「ごめんなさい!」
ゼウスはヘラにケツをはたかれて、催事場をあとにした。
目を回したエコーはその日、ナルキッソスの背中に担がれて自宅まで届けられた。彼女は幸福な気持ちでナルキッソスを見送った。その時声がした。
「そんなに彼が好きなの?」
「うん」
彼女はいつの間にか近くにいたアスクレピオスと、自分の返事に驚いた。アスクレピオスはいつもの杖を持って、大人っぽい天使のように微笑していた。
「呪い、無効になったよ。君、ちっとも不幸にならなかったもんね」
二ヶ月後、ギリシャで、あるアイスダンスペアが話題になる。
「おれ、かっこよすぎ!」
「ええかげんにせいや!」
うぬぼれる男性と突っ込みを入れる女性のコンビ。メディアは彼らの話で持ちきり。そう、ナルキッソスとエコーだ。
アイスダンスショーが終わると、ナルキッソスがスタミナ切れしたエコーを担いで自宅まで送った。
「本当にその彼氏でいいの?」
アスクレピオスがエコーの家の近くに立っていた。
「ゼー。」
エコーは満たされて答えた。スタミナが追い付くまで時間がかかりそうだ。夕暮れ時のカラスが阿呆、と一声。彼女は風呂にでも入ろうと思った。
(終わり)
ヘラって可愛い女性だと思います。
お読みいただきありがとうごさいました。
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